和音と旋律

こんばんは、うたげです。
今日は、物語とか旋律とかについてのお話です。
人見知りで引っ込み思案で内気な私には物語は起こりませんが、皆さんは最近、物語が身近に起こりましたか?

 

個と全体

物語とはよく使われる単語ですが、「ストーリー」「お話」「顛末」「起承転結」あたりが近い意味や関連性の深い言葉でしょうね。
要するに、何が起こってどうなって…ということ。

ツイッターで時折見かける、「設定と物語を混同している」という趣旨の発言。
設定を事細かに決めるけれど、その設定を活かしたお話となると思いつかない…という人がいるみたいですね。
私はお話を書く人ではないので設定を決めるほうが楽しいとかはよくわからないのですが……どこかで聞いた話にも共通するなと思っています。

 

旋律は和音の結果である

学生時代にお世話になった先生がおっしゃっていた言葉です。
和音の進行があり、その和音の中の一つの音をつないでいったものが旋律だ、と。だから旋律の中の一音ではなくて和音の中の一音としてとらえなければいけない――そういった趣旨のことだったと思います。

合唱でも合奏でもいいのですが、複数人で何かを作り上げるとき、私たちはどうしても一人ひとりの旋律に集中しがちです。
仕方ないんです。自分ができることは自分のパートを全うすることだけだから。そうなると自分の音の集合である旋律のほうばっかりに意識が向きます。

でも、本当は、自分の旋律の中のどの音も、和音を構成しているはずなんです。ソロであっても、他の音が鳴っていないだけで、和音はたしかに存在していますからね。
だから全体の中で自分がどこにいるのかということを意識しないと、結果として素晴らしい音楽にはならないんですよね。個々の旋律が積み重なっても音楽とは言えない。和音を動かすんだ。和音が動いた結果が、旋律なんだ、と先生は力説されていました。

 

物語と設定

設定と物語も同じことかしら、と思うのです。
個々の設定を詰めたところで、全体の物語がなければ作品としては完成しません。
あるキャラクターの過去や現在などを設定しても、そのキャラクターがどう動いて何を起こして、それが他のキャラクターとどう関連してくるのか。そういう全体の動きにあたる部分がないと、どんなに魅力的な設定のキャラクターでも魅力的に受け取られないのではと思うんですよね。

大きな物語の筋があり、その展開のために必要なキャラクターが設定されるほうが、ストーリーとしてはスムーズに流れ、面白いように思います。
キャラクターデザインで売るやり方もあります。子どもが好きなのは見た目が好みのキャラクターだったりしますからね。キャラゲーという切り口もありますし。

何を重視するかは人それぞれの好みですが、あくまでお話の面白さなども含めた「作品」という切り口だと、やはり物語の比重のほうが高いかなと私は思います。先にキャラクターありきだと、どうしてもそのキャラクターだけ際立ってしまってバランスが悪かったり、話の展開に制約がかかるような気がするので…。……設定と物語、どちらも両立した作品を生み出す、神のような人もいますが…。

 

でもやっぱりバランスが大事

旋律は和音の結果」という言葉、なかなかに深いなと、時が経つほどに思います。
自分は一人しかいないので旋律の良さを追求してしまいがちですが、職場では和音の美しさを求められたり。友達グループの和音のために自分の旋律を意図していなかったほうへ広げたり。
結局はバランスなのでしょうね。和音も旋律も、どちらもおろそかにすることなく、バランス良く力を配分できるようになりたいです。

このブログを読んでくださっている方は大丈夫かと思いますが、以上はあくまで私個人の意見なので…私は漫画や小説などのお話を作る人でも、音楽作りに携わっている人間でもないので、外野が心に残った名言に絡めて何か騒いでいるなぁくらいにとらえて頂ければ幸いです。

ミュンヘンフィルとワレリー・ゲルギエフとユジャ・ワンの強力トリオ演奏会

こんばんは、うたげです。
本日は前から楽しみにしていた演奏会がありました!
ワレリー・ゲルギエフ指揮、ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団、ユジャ・ワンのピアノ独奏という豪華な組み合わせ!!

 

演奏の感想

師走の初日に幸先のよいスタートです。
先に総括すると、素晴らしい演奏でした。

ユジャ・ワンのピアノを初めて生で聴けたのも嬉しいし、ゲルギエフの演奏を満足いく形で聴けたのも本当に素晴らしい!
プログラムは、ブラームスのピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.83と、マーラーの交響曲第1番 ニ長調「巨人」

まずはブラームスのピアノ協奏曲。ユジャ・ワンのピアノが輝きを放ちます。彼女のピアノはテレビでは何度か見聞きしているけれど、本当に凄まじいテクニックですね…でもテクニックだけではなくて音楽の世界観を表現して、大編成のオケを見事リードしていると思いました。
マホガニーの調度品でまとめられた部屋に、大輪の花がゴージャスな花瓶に入って置かれているイメージ。まとまりはあるけれどユジャ・ワンのピアノがすごく際立っていて、彼女が全体の色を決めていました。オケは純然たる西洋クラシックサウンドだけど、ピアノはそこに少しジャズとかの新しい要素が混じっているように聞こえました。
ユジャ・ワンは攻めた舞台衣装でも有名です。この日は普通の肩出しロングドレスかなと思いきや、スカート部分の下半分はオーガンジーっぽい透ける素材。胸と尻しか隠れてないような服装でした。色もドレスが金とオーガンジーの黒で、赤のハイヒール。かっこよかったです。

続いてはマーラーの「巨人」。こちらも非常に楽しみにしていました。
まず驚いたのは、雑味のない澄んだ音色!耳にすんなり入ってきます。それなのに厚み深みもあり、迫力もある。アンサンブルも非常にまとまりがあります。ホールの性能も影響しているのでしょうが、全体的に輪郭のくっきりした演奏でした。これは生で聴けてよかった…。

私の語彙力表現力が足りなくてこの良さをお伝えしきれないのが残念ですが、本当によかったです。チケット高くて行こうか迷ったけど、行って本当によかった!
アンコールもすごかった…彼女のCDがほしいです。

 

演奏だけじゃない!楽しかったことあれこれ

マーラーの「巨人」。マーラーは比較的現代に近い作曲家だからなのか、楽譜上に様々な指示を書き込んでいます。
私はこの曲を今回も含め三度ほど演奏会で聴いておいてほぼまったく別演奏に気付けないポンコツ耳の持ち主なのですが…この曲、冒頭にトランペットのファンファーレがあります。遠くから聞こえてくるという情景描写のために、実際に舞台裏で演奏しているそうなのです。その部分が終わると舞台裏で演奏していたトランペット3名が演奏中そっと舞台に上がってきました。これはステージに近い席か、サントリーホールだったのでステージ後方の座席で聴くと、より楽しめる演出ですね。
他にも木管楽器に対してベルアップ(通常下に向けている楽器の音の出口を前へ向けること。きつそう…)の指示があったり、視覚的にも面白い曲です。ベルアップはより音を届けるための指示かもしれませんが。

あとは、ミュンヘンフィルのコンマスがバッハみたいな髪だな…とずっと思いながら聴いていました。

 

サントリーホール情報

今回の演奏会はサントリーホールで行われました。日本で一番有名なクラシック音楽ホールと言っても過言ではないですね。最寄り駅はおそらく六本木一丁目駅。付近にはお店も多いので早く着いても困りませんし、場所柄夜遅くまで営業しているお店もそれなりにあるので、終演後も明るいです。

私は演奏会の開演前にロビーで軽食を取るのが好きなので今回もいただきました。サントリーホールのロビーの飲食物、とてもレベルが高い!サンドイッチは具材の野菜が新鮮だしお肉もたっぷり。お菓子は見た目がパーフェクト、しかもお味もパーフェクト!ゆっくり味わいたいので開演30分前じゃなくもう少し早く開場してほしいな~。

サントリーホールには時間に余裕を持って、開場までに着くのをおすすめします!なぜって?開場時間になると、建物入り口上部の仕掛けが動き、機械仕掛けのオルゴール演奏が聴けるからです!
オルゴールを聴いているうちに扉が開き入場。クロークに荷物を預けたりバーカウンターでシャンパンを頼んだりして、ゆっくり開演を待ちましょう。

サントリーホールで聴く演奏はどれも損はしないですよ!上等な時間を過ごせるので気になる公演があればぜひ足を運んでください。

 

ゲルギエフとの思い出

今回、私にとってはワレリー・ゲルギエフのリベンジ演奏会でした。

以前にも彼の指揮の演奏を聴きに行ったことがあります。
そのときはチャイコフスキーの「悲愴」だったのです。演奏はとてもとても素晴らしかった…。「悲愴」は、最後、心臓の鼓動の間隔が空いていきやがて止まる…というような、緊迫した終わりを迎えます。音が鳴り止んでも、その余韻に浸っている曲。指揮者がタクトを下ろすまでは曲が続いています。
ですが、最後の音が鳴り止んで、彼がタクトを下ろすより前に、「ブラボー」の声が…。

終わった瞬間にブラボーを叫ぶような曲調でもないし、叫ぶべきタイミングでもないし!!ゲルギエフも呆れたような反応をしたように見えました…。

そんなわけで前回は素晴らしい演奏だったのに締めくくりがイマイチだったので、彼の演奏をもう一度、今度は最後まで素晴らしいまま聴きたい!と思っていたのです。
今日はその願いが叶って本当に嬉しいです。ゲルギエフリベンジ、成功です。

 

その他、演奏会や展示会についての記事はこちら!↓
ムンク展とのコラボ演奏会
ムンク展
乃木希典展

ゴールデンカムイ第181話感想

こんばんは、うたげです。
今週も仕事帰りにヤングジャンプを買いました!
初見の熱のままお送りします。

 

第181話 アムールトラ

やっぱりトラはさすがにキロちゃんも想定外だよねー!うんうん。でも爆弾が爆発しなかったのとかあまり狙ってなかったぽくてそこは外したなと。

穴が開いたのに囚人が出てこないのでいぶかしむ尾形。ここの尾形めちゃくちゃ美人。回が進むたびにキレイになっていって、初期のモブ顔とか何だったんだ…?恋でもした?

馴鹿はこんなところへの伏線だったのか!たまたま獲物を追って流氷を渡ってきたトラが、たまたま爆発して開いた穴の前にいるって、ものすごい偶然だ。持ってるな。持ってるのはソフィアさんかキロちゃんか?
トラが腕を振り下ろすところ好き。猫科は肩甲骨が開くから猫パンチができるんだよね…猫科特有の肩の柔らかさが見えていて好き。さすが野田先生。

てかトラでかすぎない?頭なんて囚人の頭の倍ない?アムールトラは見たことないけどこんなにでかいのか…今度動物園で見たい。どれくらいでかいのか見てみたい。

そんなばかみたいにでかいトラが来ても逃げださずソフィアさんを守ろうとする子分たちカッケー!そしてそれを見捨てず共に戦うソフィアさんもマジカッケー!ほんとにド〇ラにしか見えなくなってきた!!
かつては咄嗟にフランス語が出るほど上流階級の出だった、あの妖精のように美しかったソフィアも、今では鎖を手にトラに立ち向かうほど立派になりました…。
ものすごくどうでもいいんだけど、以前に部署異動した際、異動先の上司との面談で、「ロシア人女性は若い頃は妖精のように美しいのになぜ年を取るとあんなに屈強な見た目になるのか」という話をしたのを、ソフィアさんを見ると思い出します。なんで異動してきた部下とそんな話してたんだあの上司は…。

トラにまたがり脱獄ソフィア(熊にまたがりお馬の稽古、のメロディで)

えっトラ殺さないの!?どうするの!?殺されちゃうよ!!
こんな言い伝え挟むくらいだから誰かトラを撃つんでしょうね。それがそいつの不幸な結末への伏線になると。やっぱ尾形かキロちゃんですかね~キロちゃんかな…ユルバルスだし、自分を撃つというダブルミーニング(?)にもなりそう…。

で、「あっちも爆破された」のは誰がやったんですか?湿気てた爆薬につけた火が、湿気てない部分に到達したの?それともキロちゃんがやったの?わからんよ~あとこのセリフのコマで、屋根に乗ってる謎の黒い物体、何ですか?それらしい模様は見える気がするけど、まさか簡略化されたトラ?コミックスで修正されるのかなってくらい記号化されてるな…。

ウイルクは樺太アイヌとして幼少期を過ごしたんですねぇ。ソフィアさんは大好きだったウイルクと同じ目をしたアシリパさんを見てウイルクを思い出し、幼いアシリパさんを見て見たことのないウイルクの幼少期を思い浮かべていたんだろうな。

白石そうだよねここまでのキロちゃんの話を文字と音声だけで受け取ったら、人を引き付ける力のある、美人か可愛らしい人を想像するよね…私ならするよ。若いときのきれいなままのつもりで話してるはずだもんなキロちゃんも。
ソフィアと対面したときのキロちゃんの反応良すぎる!!たぶん若い頃はキロちゃんはソフィアに対して恋愛的な意味で特別な感情はなかったと思うけど、長い年月を経て、見る目を変えさせるほどにソフィアさんがキロちゃんの理想の女に育ったんだ…。ソフィアさん抱き心地めちゃめちゃよさそうだもんな…きっとキロちゃんが抱きしめても腕が背中に回りきらないよ…。

最終ページで大混乱です。ソフィアさん何を知ってるの…?ウイルクが死んだことはキロちゃんが伝えたけど、キロちゃんが尾形と協力して殺したっていうのはさすがに言わない…でも尾形はソフィアさんが知ってるかもしれないと思ってるから、事実を知ったら一番ショックを受けるだろうアシリパさんを見てる…?
もしくは私が深読みしすぎ?実は来週号で「あんたと一緒に北海道に渡らなければウイルクは死ななかったんだ!どうして守れなかったんだ!」的な、そんなに重くない展開に…?こっちのほうがあり得るかなぁ。かつての仲間を裏切って殺したと知って、平手打ちするかなぁ。私だったら看守からかっぱらって銃を向けるな。でもそこは助けてくれた恩とかこれからのこととか考えての平手打ち止まりなんだろうか…。
次週もソフィアさん次第。

 

今週号も面白かったです…尾形の顔がこんなに描かれてるの久々に感じるんですが、どれも美人すぎる…
ソフィアさんは子分たちに慕われていて、彼女本人も人情にあふれているのが伝わってくるし、とても好きなキャラクターです。彼女の行動の目的がまだわからないけど、願いが成就して、ハッピーエンドを迎えてほしいです!
来週も楽しみ!

思い通りにいかない体

こんばんは、うたげです。
男と女の決定的な違いは、生殖における役割。
それぞれの苦悩があることと思いますが、女性からすると理不尽にも思える女性の体の仕組み。
今回は生理について書きたいと思います。

 

きたきた!

月のもの。月に一度のあれ。
始まると落ち込みますよね…月によっては始まる前から気分の落ち込みがあったりしますが。

生理。女性の体を持っているなら避けられない現象です。

先日、主人と話していたのですが、やはり生理がどういうものか知識として知ってはいても、体験したことがないから男性は感覚がまったくわからないそうです。
生理にまつわる諸症状は言葉で伝えているのですが(だって色々協力してほしいから)、やはりどういう状態なのかはまったくピンときていないようです…。

 

経験していない人に伝えるのは難しい

私は、いわゆる生理痛は重たいほうだと思います。
腰骨のあたりがゆーっくり確実に万力で締め付けられるような、痛みと呼ぶのも微妙なレベルの鈍い痛みと不快感。全身の倦怠感に、強烈な眠気、たまにごく軽い吐き気。あと何より気分の落ち込み。すごくネガティブになるし、その裏返しで攻撃的にもなります。

これらのことは、主人にははっきり言うようにしています。「機嫌が良くないからあまり騒がないで」「だるいから片付けやっといて」とか。
痛みとか気分とかは、本人しかわからないので、言うしかないんですよね。
でも、言ったとしても、生理の経験がないのでわからないだろうなと思います。だから、具体的にどうしてほしいかまでをセットで言うように気を付けてはいるのですが…わからないから、ただ不機嫌に命令してくるだけ、みたいに思われていたら嫌だな…。

 

だって血が出てるんだよ!

でも、明白な事実として、「血が出ている」というのはわかりやすいみたいでした。
股から五日間血が出続けるんだよ!鼻血なら五分出続けたら大慌てなのに!と訴えたところ、なんとなく気圧されたようで、私の要求は飲んでもらえました。

同じ出血でも、場所や勢いで扱いに違いがありますが、血液は体の内側にあるもの。それが体外に出てくるというのは、体にとってはけっこうな負担だと思うんですよね…。通常の排泄とは違う場所から出てきますし。

 

人間は進歩しすぎた?

いかに生理が大変かを熱弁したところ主人がこぼしたのが、「人間っていう生物の欠陥だよね…」。
人間と言う種レベルまで話を広げるのかと思いましたが、たしかに一理あります。

昔みたいに十代で嫁いで産み育てるのが女の仕事、母娘が同じタイミングで出産…なんてことはほぼなくなりました。流行り病やらなんやらで命を落とす可能性も今と比べ物にならないほど高かったでしょうし。昔は、妊娠可能になってから閉経するまで、だいたい妊娠していたんじゃないかなと。
でも今は疫病や栄養失調とは無縁の現代です。社会で生きていけるように育てるにはお金も時間もかかるので多くの子は持てない時代です。現代では、そんなに長期間、妊娠に備えておく必要はないはずなんです。

つまりは人間社会の進歩に、肉体の進化がまったく追いついてない、と言えるのではないでしょうか。
日本で戦争が終わってから100年も経っていないので、そんな短期間で生物の進化があるわけもなく、正しくは、人間社会の進歩が、肉体的な負担を考慮し切れていない、となるわけですが。
社会が進歩したら生きるのが楽になるものだと思うのですが、楽になった感覚はほとんどなくて、これが本当に進歩と呼べるのかわからなくなってきました。生理のときはしんどいので働かなくていいのが一番楽なんですけど、今は働くために生理痛をどうにかしたいという、なんだか本末転倒なような…?

 

振る舞いも難しい

この体を現代社会に合わせるのが厳しいなと感じる最たる場面は、仕事です。生理痛がなかなかに重いので、仕事に行かなければならない日は、薬を飲んで無理やり立ち向かうか、ひたすらデスクで耐えるかの二択を迫られます。
私の会社には生理休暇なるものは存在するのですが、名称がそのまますぎて、恥ずかしくて取れません…。しかも、取得したらしたで、毎月休むのか?と思われちゃいそうですし…。
なので、具合が良くないなと感じたときに、理由を告げなくても休みやすい職場だといいですね。もちろん仕事に支障のない範囲で。

 

お付き合いは根気よく

最近、重いPMSにはピルによる緩和も可能とよく聞きます。保険適応もされるみたいですね。実際に私も飲んでいた時期がありました。
が、毎日規則正しく飲まないといけないので、面倒になってしまい、薬がなくなったままです…。
海外旅行と生理が重ならないようにするという目的で飲み始めたのでいいんですけど、ズボラな性格の人間にはちょっとハードルが高い気がします。

でも、飲んでいた間は、たしかにすごく楽でした。
子宮筋腫の件もありかかりつけ医を持ちたいと思っているので、そのときにでも一度相談してみようかな…。

閉経までこの付き合いが続くと思うとゾッとします。少しでも楽しく思えればいいのですが、股から血が出るだなんて不快で面倒でしかないです。
もっと科学技術が進歩して、いい解決方法が出てくることを願っています。

ART meets MUSIC ムンクとグリーグ

こんばんは、うたげです。
演奏会に行ってきましたのでその感想です。

 

ART meets MUSIC

先日ムンク展に行ってきた際に知った演奏会。
東京都美術館と東京文化会館、そして東京都交響楽団のコラボレーションイベントのようです。

パンフレット表紙には、三つの施設・団体の名前がしっかり記載されています。
演奏前に奏者の方が話されていたのですが、上野にある文化施設とそこを本拠地に活動する団体が協力し、お互いの集客力を高め合おうという意図が感じられました。美術鑑賞が好きな層と音楽鑑賞が好きな層、きっと親和性があると思うので、それなりに効果があるのではないかなと思います!
また、第3回目ということで、それなりに好評であろうことも伺えます。

 

行き方は?

さて、こちらの「ART meets MUSIC」、私はこうして行きました。
(第3回ということでこれまでの2回は違う方法だったかもしれませんし、これから変更になる可能性もあるので、あくまで私の行ったときの話として書いています。)

①ムンク展に行く。
②鑑賞後の半券を、東京都美術館の案内所に提示し、演奏会の整理券をもらう
③演奏会当日、整理券を持って入場する

演奏会そのもののチケットをお金で買うわけではありませんでした。
美術鑑賞をした人のうち、演奏会に行きたい人が先着順で行けるということになります。
私の整理券は400番台。東京文化会館小ホールの収容人数は649席で、うち何席かは関係者席としてブロックされていたので、実際に一般の人は620人ほど入っていたと思います。
また、ムンク展のスタートが10月27日で、私が整理券をもらったのが11月3日だったと思います(展示会はそれより前に行っていたのですが帰りに整理券をもらうのを忘れて別の日にまた来ました…)。
となると、展示会が始まってから一週間で7割ほど整理券が出ていたことになります!なかなかに人気なのですねぇ…。
行きたい方は展示会開始から一週間以内に整理券をもらいに行くことをおすすめします!半券提示でもらえるので、例えば前売り券を買って整理券をもらっておいて、展示会は後日ゆっくり…という方法もありかなと。

当日は、10:30開場でしたが、10:15頃に着いてみるとすでに待機列ができていました。30分ぴったりに入場開始。自由席なので気に入った場所を選び席を確保します。
15分頃に着いて並び始めましたが、そのくらいのタイミングだとわりと早いうちに入れたほうで、なかなかいい席を取れたと思います。一人なら開演ギリギリでもそれなりの席に着けるけれど、お友達同士で来ている場合は別々の席になるかも。でもどの席でも音はしっかり響くのであまり問題ではないと思います。

 

ムンクとグリーグ

さて、いよいよ開演!演奏者さんが舞台袖から出てきます。
通常の演奏会だと、すぐに演奏に入るのですが、今回は演奏者の方のトークがありました。
演奏会の概要(三つの施設・団体のコラボであることなど)や曲紹介を丁寧にされていて、極めつけは「では今からチューニングという音出しをしてから曲を演奏します」とおっしゃっていました。普段こういう演奏会にあまり来ない方向けの親切な対応に関心しました。
他にも、女性はドレスで華やかにしていたりと(通常は黒い服装)、クラシックコンサートに親しみを持ってもらおうという気持ちが随所に見える演奏会でした。

演奏は、まずはエルガーとモーツァルト。どちらも言わずと知れた名曲です。絶対にどこかで耳にした機会があるはずです!
ヴァイオリンは軽やかな印象。アンサンブルは息がぴったりでした。

後半はムンクと同時代に活躍した、グリーグの曲から。皆さん歌いまくる!前半がきっちりまとまった仕上がりな印象でしたが、後半のグリーグはとにかく感情を揺さぶってきます。ヴァイオリンも前半とは打って変わって重みのある音色でした。
最後の組曲「ホルベアの時代」以外は抜粋でした。「アイネ~」も、第1楽章と第4楽章のみ。抜粋の場合は楽章の切れ目で拍手すべきかよくわからなかったので、空気を読んでおきました。

「胸のいたで」は、選曲理由の通り、ムンクに近しいものを感じました。
思考が内側に向かって行って、様々な感情が湧き出てくる。それらに耳を貸すのが嫌になってふと顔を上げると、今度は周囲からの圧を感じる。
ムンクは、そうして自然からの叫びを聞いたのではないかなぁと、素人ながらに解釈しました。

アンコールまで終わったら終演です。アンコール後はコントラバスが奏者と一緒に退場して舞台が椅子以外すっからかんになるので、わかりやすいな…と思いました。楽器が置かれたままだとたまに終了がわからないときがあるんですよね…演奏者が何度も舞台に戻ってきたりとか。

 

演奏会のおまけ

さて、地味に気になる演奏会前の過ごし方。
東京文化会館の小ホールにはバーカウンターがあるので軽食がいただけます。私は朝ご飯を食べ損ねて行ったのでワッフルとコーヒーをいただきました。
午前中の公演だったのでワッフルしかないようでしたが、メニュー表には記載があったので午後からの公演ではサンドイッチが食べられると思います。
もちろん各種飲み物もあります。シャンパンを頼まれているマダムがいて、午前中からとても優雅な空気が流れていました。

演奏会終了後は、せっかくの上野なので近くでご飯を食べたいところです。
今回は東京文化会館にある「cafe HIBIKI」さんへ。精養軒のミニハヤシライスの他、カフェメニューがいただけます。ハヤシライスは本当にミニサイズなので普通のご飯としてはちょっと物足りないです…カフェラテと比べるとサイズがよくわかりますね…でもお味は抜群でした。
こちらのカフェは、どうやら大ホールに公演がある日はテラス席のみの営業のようです。今回は公演がない日だったので室内の席に着けましたが、大ホールのロビーの一部が室内席になっているため、チケットを持たない人が入ってしまうことを防ぐためでしょう。暑い日や寒い日は気を付けたいですね。写真は室内席からの眺め。大ホールのロビーがよく見渡せます。

他にも東京文化会館内にはレストランもあります。こちらはランチ1,000円台~と安くはないですが、精養軒が運営しているようなのでクオリティは間違いないと思われます。
小ホールのバーカウンターも精養軒の系列店の名前だったような。上野公園と精養軒は切っても切れないんですね。

 

美術展と演奏会の取り組み

実質無料の演奏会、とても満足しました。
演奏の質もとてもよかったのですが、何よりも、初めて演奏会へ来る人への配慮がすごく嬉しかったです。
私は配慮を受ける側ではないのですが、慣れた人たちの「こういうルールだから」という暗黙の了解って、初心者をすごく遠ざけると思うのですよね。

クラシック音楽の演奏会の敷居を高くしている要素として考えつくのが、こちらの三つ。
①値段が高い!
②聴くのに緊張する!
③プログラムのどの曲を演奏しているかわからない!

①については今回は実質無料なので、入り口としては最良だと思います。国内団体ならテーマパークに行くより安く聴けますし。

②については、値段の高い公演の話になりますが…やはり、一音も聞き逃すまい!という気持ちになりやすいとか、好きな人ほど集中したいとか、そういう理由かなと。
有名オケや指揮者の来日公演ともなれば、お客さん側もとても緊張しています。というのも、雑音NGの空気があるから。
だからみんなカシャカシャ音の鳴るダウンコートはクロークに預けるし、パンフとチラシの入ったビニール袋は音の出ない柔らかい素材だし、咳は楽章の合間にまとめてするし。のど飴を開ける音なんて出そうものならとんでもないヒンシュクを買います…(余談ですがこののど飴問題、少し問題になっていました。クラシックは高齢の方が来られることが多いからのど飴を演奏中に開ける人が多いらしく、ご配慮くださいと注意書きの紙が配られていた演奏会もありました)。
でも、音楽を楽しむのに、そういうピリピリした空気で本当にいいのかは私は疑問です。少なくとも初めての人には、リラックスして聴いて、楽しい場なんだという感想を持って帰ってもらいたいですよね。
なので今回、演奏が終わるごとにトークを挟んでいたのですが、お客さんの緊張を解く効果は目に見えてありました。おしゃべりしてもいいんですよリラックスしてくださいね、というのは最初はびっくりしましたが、たしかにとてもいい声かけですね。

また、③については今回されていた、次の曲の紹介がとても効果的でした!パンフレットに書いてあっても、読まない人も多いですし、いくつかの楽章で一曲という場合もあり今どの曲を演奏しているのかわからなくなった…という声も聞きます。いい曲だなと思っても曲名がわからないのはもったいないですよね。
それに、演奏する前に聴きどころなど教えてもらったほうがより音楽の世界に浸れます。直感で聞くのも必要ですが、せっかくの演奏会なので一つでも多く得て帰ったほうが満足度は高いはずです。鑑賞に必要な情報は事前にあったほうがいいです。

 

演奏会のすすめ

今回の演奏会は、クラシック音楽を聴く人のすそ野を広げるためにもとても良い取り組みだと思いました。唯一、平日開催というのが社会人にとってはハードルが高いですが…クラシックコンサートに来てくれる人を増やしたいという気持ちは十分に伝わってきました。私も、もっとたくさんの人に聴いてもらいたい!と思っているので、この姿勢はとても嬉しいです。

クラシックコンサートなんて七割がたが白髪の世代ですからね!以前にゲーム音楽のオーケストラコンサートに行った際には黒髪の若者が多くて、新鮮な眺めにびっくりしましたよ。

有名なホールで聴いてみたい、帰りにおいしいものを食べるって誘われて、無料でやってるから…、きっかけは何でもいいんです。クラシックコンサートはとてもいいものなので時には芸術に触れる時間を作ってみませんか?今回の記事がきっかけになって演奏会に足を運んでいただけたら大変幸せに思います。

子供叱るな、来た道じゃ 年寄り笑うな、行く道じゃ

こんばんは、うたげです。
前々回に書いたこちらの記事(いつも同じところを回っている)の公開後に、友人の呟きを見ていて、これも書いておかねばなと思ったことがあるので、今回はそのお話です。

 

子供叱るな、来た道じゃ 年寄り笑うな、行く道じゃ

本題に入る前に、ちょっと前置き。
このことわざ(子供叱るな~)、まさしくその通りだなと実感する日々です。
悲しいかな、年を取れば取るほど、本当にこのことわざ通りに人生が進んでいく感覚があるんですよね…

こちらの記事(いつも同じところを回っている)で書いたように、私たちはいつも「来た道」を後悔して叱りそうになります。過去の子どもだった自分がしてきた間違いを、目の前で他人がしているのを見て、止めたくなる気持ちはわかるのですが、自分もしてきたことなので何も言えません。それに、自分も子どもだったことがあるから、何を言われても聞き入れないこともわかっています。

 

行く道も同じ

ここから今日のメインです。
私が若者について感じたこちらの記事は、ことわざで言うなら「来た道」です。「行く道」についても、同じことが言えると思います。

「行く道」にいる人は何もご老人だけではありません。世代が一つ上の方々だってそうです。
二十代は、「三十代はオジサンオバサンで嫌だな、少しでも若くいられるように見た目や流行には気を遣おう」と思っているかもしれません。というか、私がそう思っていました

でも、実際にその年にならないとわからないことだらけですね。人間、年を取れば見た目は老けますし、体力も落ちるし、新しいことについていけなくなります。身体的な成長が止まった日から老化が始まります。下の世代から尊敬や羨望のまなざしで見られることなんてそうそうないです。だって体力はもちろん、センスとか柔軟性とか、若い者には敵わないですから。その分経験を積んでいればいいですが、積んだ経験とそれを伝える手段、両方に優れた人はそう多くないと思います。

以上のはざっくりした例えですが、もっと身に染みた実話もあります。
ジャージと、お化粧
ジャージというより、冬場のいわゆるシャカシャカパンツです。外側が防風仕様で内側がボアの暖かいやつ。あれをはいて外出する人の気持ちがわかってくるようになってしまいました。寒いんだもの…。前は、外に出るのに部屋着みたいな恰好でみっともない、くらいに見ていたのに…。見た目と機能なら機能優先、という話ではなくて、服装に無頓着になってきた感じがあります。
お化粧も、二十代で化粧が楽しかった頃は、オバサンはどうして時代遅れの眉メイクなんだろう、などと失礼なことを心の中で思っていたわけですね。でも今ならわかります…若者に流行っているメイクなんて良いと思えなくてできない…そして何より、普段の眉メイク以外の眉毛を作れない…。前はもっと流行りのメイク方法を試したりしてたのになー?と、自分の老化っぷりにびっくりです。

 

過去と未来の狭間で

ここまで私の老化具合をお話ししてきましたが、過去の自分がああなりたくないと思っていたものになってしまう恐ろしさを、年を取るにつれて実感しています。
十代までは、今の自分で精一杯で先のことなんて私はほとんどまったく考えていなかったので、二十代より先がどうなるかなんて想像すらしていなかったんですよね。でも、二十代になって社会に出ると、自分の所属するコミュニティでの違う世代の人に触れ、その人に将来の自分を少し重ねてみる機会が現れ始めます。そこで「こういう年の取り方はしたくないな」という部分を持った人に出会ったなら、その人を反面教師に学ぶことは、多いと思います。

でも、その人の年齢(あるいは別の条件)に追いついたときに、過去の自分がやりたくないと思った振る舞いをせざるを得ない場面というのが、あります。
そのときに、自分は「行く道」を笑っていたんだなと初めて後悔しますし、同時に、自分の「来た道」を叱りたくもなります
でも、そういうものなんですよね。ここで笑うのをやめても何の役にも立たないですし、叱ったとしても今まさに私が「来た道」を歩いている人にとってはただのお節介なんですよね。こうして人間の行いは繰り返されるんでしょう。

これは、私には人間が受けている罰みたいなものに思えます。自分自身がいくら経験や知識を蓄えて進歩したつもりでいても、命ある限り死んで生まれての循環がそこかしこで繰り返されているわけで、自分が「来た道」と「行く道」をまざまざと見せられ続けている状態です。いくら賢くなったつもりでもお前には何もできないんだ、この循環の中にいて抗えない過去と未来を見ているしかないんだ、と言われているような心持がします。…誰に、何の罪で、なのかはわかりませんが。

 

教訓

「子供叱るな、来た道じゃ 年寄り笑うな、行く道じゃ」
私は、「だから他人には寛容でありましょう」と続ける解釈が一番即効性があると思います。
ことわざ通りに子どもやお年寄りにはもちろん、考えや信条の違う人とも互いに寛容でいたいものです。
また、ああなりたくないなと思った人も、色々な側面があるので、見習うべき部分ももちろんあると思います。そういう色々な側面を見ることも、他人に対して寛容であることの一つかなと思います。一つの側面で決め付けては良いお付き合いはできないですもんね。当たり前のことですが、毎日のこととなると忘れがちです。

…そうは言いつつも、きっと現在進行形で、母親のお小言をうるさいなと感じています。これも、ゆくゆくは、言う側の気持ちがわかり聞き流していた自分を悔いる時が来るのでしょう…。
そうなるであろうことがわかっていても、現在の自分をコントロールできない…。歯がゆいですね。わかってるなら変えろよと自分でも思いますけども。正論であってもすぐ実行できないアドバイスは往々にしてあるんですよね…特に母親からのね…。

 

私は他人に無頓着であれ

最後に。ここまで書いておいて何をいまさら、ということなのですが。
ここまで他人を見て考えているの、我ながら少し気持ち悪いなと思います。
他人への攻撃は自分に自信がないことの表れと聞いたことがあります。
私はオジサンオバサンを見てはああなりたくないと思っていましたが、それは彼らを心の中で攻撃していたようなものなんです。
自分に自信がなかったんでしょうね。今もあるわけではないのでたまに他人に攻撃的になってしまうこともありますが…。
他人を攻撃することで自分を守るんじゃなく、自分の関心はしっかり自分に向けて、他人にはもう少し無頓着でありたい。そのくらいで私は寛容と言えるくらいの態度になれる気がしています。

ブログを始めてみて一ヶ月

こんばんは、うたげです。
急に冷え込みましたね!冬の格好をしてしまうと今から年明けの寒さが不安です。
でもこの季節に丁度いい服装は活躍する期間が短くて、もったいない気がするんですよね…。

さて、気付けば当ブログ開設から一ヶ月以上経っていました。
今日はここまでの振り返りです。

 

一ヶ月レビュー

何事にも振り返りは必要です。
ぴったり一ヶ月ではないのですが、ブログを始めていつの間にか一ヶ月経っていました。

まずは読んでくださっている方、本当にありがとうございます!
ありがたいことにコメントくださる方もいらっしゃって…。本当に嬉しいです。とても励みになります。

まだまだ壁打ちの内容ばかりですが、日々書いていくことで少しでもいい内容をお届けできれば…と思います。

 

良かったこと

ブログを始めてみて良かったことは、何よりも、頭で考えていることが少しずつ整理できるようになってきたこと。
前は頭で考えているだけなのでぐちゃぐちゃでとても人に説明できるようなものではありませんでした。
今でもそう説明になっていないかもしれませんが、少なくとも文章にして読み返すことで、いかに説明のステップがぶっ飛んでいたり、説明できる材料が言語化されていなかったり、そういう課題に気付くことができるようになったとも思います。

また、過去の出来事を振り返って言葉にしてみることで、その出来事を別の視点から見ることも少しできるようになったと思います。
あとから気付くことはどんなことでも起こり得ると思うのですが、それを記録しておくことで効果があるんじゃないかなと。

 

これからの課題

さて、これからもブログを続けていくために、気を付けたいことです。

しっかり読み返す
当然ですけど、読んでわかってもらえるよう、推敲をしっかりしないとです。
疲れているときに書くと怠りがちなので…。言葉や漢字の間違いはもちろん、例示のわかりやすさなどにも気を遣わないといけないですね。
これまでも読みづらい内容があったと思います。すみません…。

日々言葉にしていく
そして大事なのがこれですね。感じたこと考えたことを、言葉にしていく。
何かあったとき、それを言葉にしていかないと、頭の整理はできないと思います。頭の中の整理がしたくて始めたことなので、一つの文章にできるよう、言語化と周辺の出来事との紐づけを、日々意識してやっていきたいですね。

 

まとめ

今日は半分備忘録メモのような内容でしたね…何をいまさら当たり前のことを!と思われるかもしれませんが…。
当たり前のことでもたまに書き出さないと忘れるのが私。こうして節目節目で振り返っていきたいですね。

ゴールデンカムイ180話感想

こんばんは、うたげです。
リアルタイムで追っている現在ほぼ唯一の漫画、「ゴールデンカムイ」の最新話の感想です。
コミックス派の方にはネタバレになります。自衛してくださいね。

 

先遣隊との激突間近!第180話 亜港脱獄

さて、今週号は、これだけで何かわかる!とか、今後の展開を想像するようなものではなかったと思います。次週以降の展開で解釈が変わりそうですね。

180話ということで順当にいけばこれがコミックス18巻の最終話になります。
お話のキリのよさでいうなら179話のほうだけれど…今後の展開を見ないとここでの区切りがどう受け入れられるかは正直まだよくわからないですね。
それにしても毎週扉絵のアオリが秀逸ですごいですね。流行を抑えてきます。今回のは私は元ネタを見たことないですが…(ほとんどテレビを見ないもので)。

 

亜港集団脱獄を目指して

ソフィアに会えばアシリパさんは何かを思い出すはず。そう信じるキロランケ主導で、4人は亜港監獄からソフィアを脱獄させる計画を進めます。
白石の指示で夜間に塀に穴を開け、日が昇ってもそれが見つからないように汚れた雪で隠す。白石の脱獄経験が活きています。
そして無人の灯台から爆薬を入手したキロランケ。それを四箇所に設置し、夜明けと同時に爆破。それがソフィアへの脱獄の合図です。

しかし、爆破はうまくいきません。四箇所設置したのに、うち三箇所は点火したのに爆発しない状態。爆薬の保存状態が良くなかったようです。

それでも一箇所の爆発が合図となり、目覚めが最高にいい高血圧ついでに血の気も多いソフィアさんは、他の囚人たちと脱獄を始めます。他の囚人がソフィアの手錠を外したり、実際には四箇所も空いていない塀の穴を見て「話が違う」と言っていたり、ソフィアは脱獄計画を囚人たちと共有していたようですね。集団脱獄させるというキロランケの目論見通りです。

爆発に気付く先遣隊のカット。双眼鏡で亜港監獄で爆発があったことを知った先遣隊一行。ついに追いつきましたね。先遣隊とキロランケ一行が邂逅するときが…!

監獄の中を見てみれば、どでかい木箱ぶん投げ・ハラショーアッパー・反重力ドロップキックで大活躍のソフィアさん。大量の囚人たちと監房の外に出ますが、爆破がうまくいかなかったため、塀に空いた穴は一箇所のみ。そこに囚人が殺到します。
しかし、外に出るとそこには虎が…。

というのが全体の流れです。
監獄と聞くと、作中で最も大きなターニングポイントとなった網走監獄が真っ先に思い浮かびますね。そこに忍び込む準備をしていたときよりも順調にサクサクと進んでいきます。
まぁ、監獄から脱出するというのは、おおよそすんなり終わらないと決まっているので、今回も予想だにしていなかった展開になっているんですけれど…虎って…。

 

アザラシ、馴鹿、再び

ここからはつらつら感想です。

アザラシを仕留めるアシリパさん、見覚えがありますね!
アシリパさんが嬉しそうにしているとこちらも嬉しいです。一番新しいコミックスでは、落ち込んだ様子で樺太に降り立った姿を見たばかりなので…。
浮きがついている銛を、氷上を滑らせて当てるという方法は面白いです。アオリにもあるように投擲の技術を使って、首を狙えますね。海から顔だけ出した状態のアザラシの首を狙うにはこれ以上ない方法でしょう。アシリパさんの肩の力でも仕留められるくらい勢いがつくのかな?なんにせよ、作中の狩りの様子は、道具や手法の詳細な描写のおかげで、実際にやっているところを見てみたい!と思わせてくれます。

そして唐突に馴鹿(トナカイ)。尾形好きに大激震の走った、勇作さんまさかの再登場回周辺を思い出します…。
「何かに追われて」ここまで来てしまったのは、尾形でしょうか、それともキロランケ?たった一頭、群れから外れ、時が経てば消えるであろう危うい流氷の上の道なき道を歩いてきたのは、一体誰なんでしょうか。誰のことを指しているんでしょう。

キロランケ尾形アシリパ白石組では、動物が何かの暗喩になっていることが多いので、ここでアザラシが出てきた意味や、馴鹿にアシリパさんが気付き尾形が「アイツも」と語った意味、きっと何かあるんでしょうね…。

 

灯台の爆薬、四箇所の爆破、虎

詳しくないのですが、灯台には港に出入りする船を監視する役割があって、つまりは敵と接する最前線でもあるわけだから、戦闘用の設備が整えてあるものなんでしょうか?以前に先遣隊が立ち寄った灯台守のご夫婦のところではないだろうし…。
しかもこの爆薬、保存状態がよくなかったのか、肝心のときに爆発しません。花火で言う湿気ているようなものでしょうか。
さらには、設置個所は四箇所。なぜ四箇所なのか?一箇所では看守も集中するので分散したほうがいいのはわかるのですが、キロランケたち脱獄の手引きする側が4人なので1人一箇所になります。これだともし爆破前に見つかってしまったときや失敗したとき、看守に攻撃されたときなどに危険な気がするんですよね…。なので四箇所にしたのは、キロランケが単独で何かしたかったからではないかと思っています。
実際に、爆破が成功したのはキロランケが担当した一箇所だけのように見えます。ここに囚人や看守を集中させたい狙いが何かあるのではないか?と思います。その狙いが虎に襲わせるわけではないと思うので、これは偶然で、キロランケも予想していなかった可能性が高いと思いますが。だって虎使いだったとしたら最強すぎますからね。

次週は、予想外の事態に慌てて、つい真の狙いを口走るキロランケが見られるのではないか?と予想しています。

 

 

いつも同じところを回っている

こんばんは、うたげです。
今日は循環や繰り返しといったお話です。
難しく言えば輪廻とかなのかもしれませんが、私の考えるループみたいなお話です。

 

人間だもの

最近、学校が多い地域に引っ越しました。普段仕事をしていると未成年を見かける機会はそう多くないのですが、そういう地域に住んでいれば話は別です。買い物や食事や通勤で外に出れば、若者を嫌でも目にします。

なお、ここでいう若者とは、概ね学生を指すとします。
同じ20代でも学生と社会人はまったく別の生き物です。

 

若者って私から見るとどんな存在?

さて、街を歩いているとよく見かけませんか。友達と喋りながら歩いていたら横に広がって、道を塞いでいる若者。電車で大声でふざけている若者。

まぁ何も若者に限らず、一部の大人もやっていることなのですが。

私は思うわけです。かつての自分を見ているようだ、と。

身に覚えのあることばかりです。
広くない歩道を友達数名と横並びで歩く。後ろから早歩きで人が来ても気づきません。旅行の移動中のバスで歌いもしました。マックの座席は100円で長時間占拠しましたね…。

でも、大人になってみれば、それがいかに周囲にとって迷惑になっていたか気付いてしまうんですよね。色んな経験を経て視野が広くなったからか、働くようになって会社の外では勤め先の顔だという意識を刷り込まれたからか。どういうわけかわかりませんが、かつての自分の行いを恥じる場面が増えました。これがいわゆる「青春」の終わりというものなんでしょうね。

 

世界の中心には何を言っても響かない

けれど同時にこうも思います。

あの時の自分に行動を変えるようアドバイスしたとしても、聞く耳を持たなかっただろうな、と。

なんでか知りませんが、大学生くらいまでは、自分が世界の中心であって今後の自分の人生には楽しいことしか起こらない!という変な確信があるんですよね。
世界の真ん中で仲間と楽しくやっているのだから周りの大人の小言なんて聞こえません。聞く必要がないんです、世界は自分を中心に回っているから。

そういうことも就活などで将来を考え始める頃には落ち着き、これまで自分が世界として見ていた範囲がいかに狭かったかを知り慎ましい態度になります。
稀に、学生のままの思考で一生を過ごす人がいますが、地元の有力者の家に生まれ育ち自分と違う考え方を見せてくれる人がいないとかそういう特殊な環境にいる人か、生まれつきそういう強い性格の星の下に生まれた人くらいだと思います。

 

過ちは犯さないと気付けない

で、何もこれ、学生を見ていて思うことだけではないんです。

例えば入社3年目くらいまでの自分。色々思い返してみると、あり得ないことばかりしています…
忙しいのを理由に不機嫌なのを隠さないとか。感情的になって言い返すとか。仕事の進みが遅い人に配慮なく遅れていることを言うとか…。
今なら、そんなことしていたら誰とも仕事ができないよ!!と肩を掴んで説得するところです。恥ずかしい…。

でも、つまりは、少し過去の自分ですら、たくさん間違っていたことに気付くということです。
ということは、きっと学生時代にお世話になった先生方も、この行いは良くないなと思っていた可能性あるし、親など世代が上の人たちも私の過去の振る舞いを見てそう考えていたかもしれない…?
というか、そう思っていたんでしょうね。今の私が過去の私にそう思っているように。
けれど、言ったところで聞かないことも知っていた、だから何も言わなかったんでしょう。過ちは犯してみないと気付けないものです。

 

いつも同じところを回っている

この「自分より若くて経験の浅い人間が自分が踏んだ間違いの地雷を今また踏んでいる」というループ現象、きっと人類が誕生してからずーーーっと繰り返されているんだろうなと思います。
人類は進歩しているように見えて、同じところを回り続けているだけなのかもしれません。

仏教には輪廻という考え方がありますが、前世の記憶がギリある人が辿り着いた思想ではなくて、人間のループ現象からヒントを得たのでは?と思ってしまいます。

でもこれだとほんの少し気が楽になります。無理して前進しようとしなくてもいいんですよね。
結局はぐるぐる回っているだけ。何度回ろうと同じところでつまづきます。だったらつまづくことも含めて、回ること自体楽しんだほうがいいですよね。

というわけではしゃぐ若者を見ても、私も通った道だと言い聞かせ、温かく見守ることにします。
…若者は未来があるという理由で社会からの手厚い保護を受けていていいなぁー。

ニューヨークに行ってきた

こんばんは、うたげです。
最近、同僚の素行の悪さが目に余るのでそれについて書こうかなと思いましたが、気分が良くならないのでや~めた!!

写真を見返していたらニューヨーク旅行を思い出したので、それについて書きます。
さすがニューヨーク、とにかく色々なことができます。なので旅行の中身は行く人がそれぞれ決めればいいとして、気になる治安や気候などについて書きます。
やはり旅はいいですね。

 

本当に色々交差しているタイムズスクエア

皆さんDA PUMPの「USA」は踊れますか?私は練習すると家の床が抜けそうなので家族に止められています。

歌詞に出てくる、タイムズスクエア。ニューヨークのど真ん中といって過言ではない場所です。
カウントダウンイベントでお馴染みだそうなのでニュースなどで目にしたこともある人も多いと思います。
見上げれば巨大スクリーンで映像が流れ、世界的企業の広告のネオンが四方八方にひしめき、地上は人でごった返している場所です。ここのスクリーンは世界で一番広告料が高いそうですよ。

周囲を見渡すと気付くのですが、周りは自分も含めて、観光客だらけ。色んな言語が飛び交います。写真を撮ったり見物したりでとにかく混んでいました。
京都には何度か行きましたが、正直それを上回る多国籍多人種人ごみっぷり。私は日本からほぼ出たことのない家族で生まれ日本で育った、生粋の日本人と自負していますが、日本人なんてちっぽけだなと痛感します。そのくらい色んな人がいます。その感覚を持つだけでも行く価値があったなと思っています。

 

気になる治安は?

さて、海外旅行をするにあたり気になるのは、まず治安ですよね。日本は世界一安全と言われていますから、そこでの生活に慣れ切った身としては、何を気を付ければいいか気になります。

私の感想としては、治安は海外と聞いて想像するほど悪くないです。
かのブロードウェイでミュージカルを見て、終演後の23時頃に劇場からヒルトンホテルまで歩きましたが、道は明るいし人通りも多いし、怖いことはありませんでした。昼間も危険な印象はまったくなかったです。

でもあくまで私の感想なので鵜呑みにしてはいけませんよ。
ブロンクスなどあまりおすすめされていないエリアも近隣にあります。また、ニューヨークでは電線をすべて地中に格納しているので、しょっちゅう掘り返して工事をしているそうですし、建物も多いので地上の工事も頻繁です。通行止めになっていて明かりが少なかったり足場のおかげで見通しが悪い場所もあります。しかもそういう情報は事前には手に入らないんです…。実際に行ってから確認するしかないですね。

でも少なくとも、大箱のホテルがあるような中心街エリアは概ね問題ないです。イタリアのように明らかに荷物狙いの集団がいるわけではなさそうでした。ただ、人ごみがすごいところでは他人と接触しますので、スリには気を付けましょう

 

物価は?

これだけは断言できます。
高いです!!

食事は感覚的に日本の1.5倍~という感じです。ファーストフードでそのくらい。少しいいレストランを予約して朝ご飯を食べたのですが、そこでは日本の居酒屋の宴会コースくらいの値段でした(もちろん一人あたりです)。
さらにチップという習慣もあるのでメニュー表の値段より15%くらいかかると思っておいたほうがいいですね。

このとき食べたパンケーキ。お高いだけあって店員さんのサービスもすごく良くて、ここはまた行きたいです。

スーパーも、都会のど真ん中にあるからか、そこまで安いようには思えませんでした。とはいえ外食よりはさすがに安いのかな。
野菜や果物がカットされパック詰めされたものがびっしりと並べられており、合理性を重んじるお国柄かな…と思いました。日本ではここまで色んな種類のカット野菜がみっしり並んでいるのは見ないですよね。

ちなみに、航空券とホテルだけでもけっこうしました。安全性や安心感を優先して日本からの直行便にしたからというのもありますが、どの便を使ってもそう安くならないのでは?と思います。

 

気候は?

行ったのは何年か前の10月上旬。日本はまだ暑い日もあるような時期で、日によっては半袖だったと思います。

このときのニューヨークは、めちゃくちゃ寒かったです…。

滞在中、最高気温が10度と少しくらいの日がほとんどで、日本なら立派な冬です。
たまたま寒波到来のタイミングに当たってしまったみたいです。日本よりは寒いと聞いていたので厚手の上着など持って行ったのですが、真冬の装備が必要なくらいでした。

あとは天候もそんなに良くなかったです。主に観光は2日間だったのですが、1日目は大雨に大風。そんな中、自由の女神を見るためクルーズ…。現地ツアーに参加したので旅程変更できなかったんです。あれは寒かった…フェリーの船室から荒れた海越しに見る自由の女神は、実にタフな女性に見えました。

波が高くてすごく揺れましたが、怖いよりも寒いが勝っていましたね。

 

ハイライトは?

実際に行った人間ができるアドバイスじみたことはこんなところでしょうか。
では楽しいやついきます!!

ニューヨークではオペラ座の怪人を見てきましたよ!

本場はすごいです!劇場は、作品の中さながらで、本当にオペラ座でクリスティーヌの歌声を聴いているような気分でした。会場の装飾が素晴らしい!
怪人の脚が長い!ラウルが本当にイケメン!クリスティーヌはどこからそんな声出してんの!?と、大興奮。
あのシャンデリアが落ちるシーン。そのシーンのあとに休憩に入ったのですが、そのときすぐ真上をシャンデリアが上へ戻っていく!休憩中は撮影OKだったので撮れました。

これがするすると戻っていくのです。前のほうの席だったので、ほぼ真上を登っていきました。

ミュージカルなら英語あまりわからなくても大丈夫だと思います!
ブロードウェイで上演されている有名なものは、だいたい劇団四季が日本で上演しているので、先に見ておけばあらすじは掴むことができますし、歌なら、大事な内容は何度も繰り返してくれるので、何度か聞いていれば単語を拾って推測…ということも可能です。
何より原語のオペラ座の怪人はかっこいいです!!

 

ローライトは?

こんな言葉があるのかわかりませんが、ハイライトに対して、ローライトももちろんあります。

英語がまったくわからない!
義務教育でやっていたし一応ラジオの英会話プログラムを聴いてから行ったので、簡単なやり取りならなんとかなるかなと思っていました。
が、予想以上に聞き取れないし、返しが出てこない。。参りました。ネイティブなのですごく流暢だし、英作文みたいに丁寧な言い回しではないので、言っていることが本当に理解できないんですよね…。
言葉がわからないというのは相当なストレスです。同行者と些細なことでケンカしましたし、もったいないから出歩きたいのに話せないから億劫になってしまう。こんなにもストレスになるとは思いませんでした。
帰りの飛行機で日本人CAさんが日本語で話されているのを見たときは、涙が出るほど安心しましたし、帰宅後はわんわん泣きました。。

でも、この悔しい思い出のおかげで、最近ようやく英会話を始める決心がつきました。
言いたいことが言えないというのは今も継続中ですが…週に一度、楽しく、時に悔しい思いもしながら、勉強中です。

 

ニューヨークよいとこ

もしニューヨーク旅行を考えている方がいたら、参考になれば嬉しいです。

旅をすると、自分についての理解が深まりますね!私は言葉の通じないストレスでものすごく憂鬱な気分になるなど、変化に弱い人間なんだなということが痛いほどよくわかりました。


こちらはスタバ。現地で自分の言葉が通じるかドキドキでしたが、なんとか注文できて、嬉しさのあまりパシャリ。全体的には何を言われているかわからないし何も言えなかった旅でしたが、こういう通じて嬉しい場面もちゃんとありました。

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