私の入院の場合

入院したことがあるので、健康第一な今に書いてみます。

何日くらいいるのかは人(病状)によりますが、私は三週間でした。長かった…

以下は私の体験談です。
実際には病院や病状によって入院中にできることできないことは大きく違いますので、ご参考程度に。

入院するとき持参するもの

このトピックについて知りたい人が多いでしょうから、一番初めに書いておきますね。
入院になったら何を持っていけばいいのか?私も検索しまくりましたよ…。

最低限いるもの(MUST)

  • スマホ充電器
    必須!!もはやスマホは手放せないので持ち歩き用充電器を常に携行しているといいかも。
  • 眼鏡
    コンタクト派の人もセーフティネットとして持ち歩きをオススメします。
  • 下着×三日分
    三日分は最低限度。なので枚数があるに越したことはない。
    院内コインランドリーが使えるのか・家族が洗濯物をどれくらいの頻度で引き取りに来られるのかによる。
  • 洗面道具セット
    シャンプーリンスボディーソープと洗顔料、歯ブラシセット。
    化粧する場面がないので洗顔料はなくていいかも。
  • 保湿クリーム
    顔と全身に塗れるものがあると便利。乾燥が気になると寝付けなかったりしたので…。
  • 使い捨てマスク×入院日数分
    感染症流行時期だと必須ですが病院ではもらえないでしょう。箱ごと持ち込んでください。
  • ティッシュ一箱
    やっぱり手元にすぐにほしいです。できたらウェットティッシュもあると便利。

 

心が死なないためにほしいもの(WANT)

  • Wi-Fi環境
    後述しますが今は設備のある病院も多いと思います。
    設備がない場合はモバイル持込可か確認してからレンタルなど申し込みを。
  • 書籍や携帯ゲーム機などエンタメ機器
    Switchは一家に一台のお宅も多いと思うので持ち込んでいいかは家族会議してください。
    ※Switch充電は普通のUSBtypeCではできません。純正の、急速充電対応のものを使用してください。
  • 有線イヤホン
    テレビ見ない人は不要かもですが…無線タイプだとベッド下に落としたり失くしたりする心配があるかな…。
  • ふりかけ
    病院食って白米の量が多いわりにおかずが薄味だったり少なかったりするんです…。
    本当は看護師さんに確認してからがいいですが渋られると思ったので私はコッソリ持ち込みました(たぶんバレてたでしょうけど)。

 

(番外編)持参しなくてよかったもの

  • パジャマ、タオルなどのリネン類
    一日いくらのリネンレンタル申込が絶対にオススメ!!
    毎日衣類を気兼ねなく取り替えられるのと、洗濯を気にしてためらうのとでは入院生活の質が違います!
    着終わったものを洗濯しなくていいというのも身軽でよかったです。
  • 爪切りなど手入れ用品
    まず刃物の持ち込みはたぶんダメです。看護師さんはいい顔をしないでしょう…頼めばナースステーションで貸してもらえる可能性が高いかなと。私は借りました。
    あんまり物を持ち込んでも管理が大変(何より置く場所が非常に限られている)になるので、長期にならない場合は自分の手入れは二の次三の次にしていったほうが楽じゃないかなと思います。

病院内の売店で買えるものもあると思うので、
徐々にそろえていけばいいや、くらいの気持ちでもいいかなと思います。

 

急な入院!?まず何をすべき?

私の人生初入院は、病院を受診したらその場ですぐ入院するよう言い渡されるところから始まりました。
手術のための入院などなら事前に準備できますが、緊急入院ではそうもいきません。
なのでこのパートは急遽入院になった人向け。
入院当日、心の準備ができていないとモノの準備なんてできるわけもなく、私は半日ベッドの上でぼんやりしてから色々動き出しました。

 

入院したらまずやるべきこと(ToDoリスト)

  • 家族など頼れる人への連絡と荷物の持参依頼
    兎にも角にもまずこれですよね。あとは勤め先への連絡でしょうか。
  • 限度額適用認定証の申請
    急な入院だと日数未定の場合もあるので、できれば申請しておいたほうが無難です。
    書類届け先を病院にしていいかは看護師さんへ確認。
  • 入院パンフレットの熟読
    よーーーく読んで、設備やサービスの把握をしましょう!
    わからないところは看護師さんに確認!

 

逆に入院したらやってはいけないこと

  • 自分の病気についてネット検索すること
    誤解のないよう言っておくと、例えば科学的な知見を専門家がまとめた書籍であれば、知識がないよりもあるほうがいいに決まっているので、そういうものを読んで一般的な知識を得ておくのはいいと思います。
    でも、ネットで検索して、他人の体験談などを読むのはおススメしません
    孤独な環境も相まって、間違いなく心が蝕まれます。または、期待しすぎて落差に落ち込みます。
    他人は他人ですし、何より入院していればすぐ近くに頼れる専門家がいます!
    見ず知らずの他人よりも、あなた自身を見てくれている医師や看護師を頼りましょう。
  • ナースコールをためらうこと
    忙しいかも…とか、これしきで…とか遠慮はいりません。
    それで我慢してストレスを増大させていては治るものも治らないです。
    どうしても気を遣ってしまう人は、看護師さんの人数の多い日中にするとよいです。
    夜間帯は人数が少なく大変そうでしたので。

急な入院、つらいですよね…。
上記はやってしまった人間からのアドバイスです…
入院中はネガティブになりそうな情報は遮断しましょう!

 

ここがつらいよ入院生活

ここからは本当に一人の患者の感想になります。
生活環境が変わるってかなりのことなので、つらいことはたくさんありました…。

 

寝付けない

私はもともと寝付きが良いほうではないので、まずは睡眠がとにかく問題でした。
環境が変わったというストレスと、大部屋の扉にある窓から入ってくる廊下の明かりや巡回の看護師さんの明かり、他の患者さんのいびきなどでとにかく寝付けないし、連続して3時間以上眠れない。
夜になるとなぜか目が冴えてしまい、ほとんど眠れないまま起床の時間を迎え、朝ご飯後にウトウト…昼食になり午後もまたウトウト…結果、また夜に眠れなくなる…こんな悪循環にはまっていました。
ただ、入院開始から1週間~10日ほど経ったときにスパーンと改善されました。
おそらくほぼ寝たきりだったので体力が著しく落ちたのと、環境に慣れてきたのでしょうね。

 

監視されている気分になる

起床就寝三食の時間が決められており、点滴など様子を見るため看護師さんが日に何度かベッドを訪れ、トイレなどで廊下に出ても看護師さんがいる。
常に誰かの目がある状態で、監視されているような気分がしており、それもストレスに感じていました。
これも慣れてくれば別に私のことなど気に留めていないなと思えるようになりますし、一日のタイムスケジュールが把握できてくるとベッドで一人ゆっくりできる時間で心の平穏を保てるんですが…最初の頃は気が休まる時間があまりなかったです。
常に受け身で看護師や医師のスケジュール優先でチェックなどがおこなわれているのもそれなりにストレスだったんでしょうね。

 

点滴

点滴も色々ありますが、刺入部から薬を入れる場合、血管が詰まりやすいなどの副作用がある場合も。
詰まってしまったら刺し直すのですが、刺せる場所には条件があって…私は血管が細いので刺せるポイントが少なく、看護師さんが小一時間格闘してようやく刺し直し、というのをほぼ毎日やっていました。
まぁ痛いですよね。何ヶ所かトライしてみるので退院する頃には腕に点滴跡がびっしりでしたよ。
あと点滴はあの機械を連れて行動しなければいけないので、トイレもけっこう大変です。
お風呂は看護師さんに頼んで点滴を一時的に外してもらい刺入部をビニールで保護してもらって入るか、ホットタオルで体を拭くかのみ。
着替えも上衣の場合は看護師さんの介助が必要です。
今まで何の苦も無くできていた着替え・トイレ・風呂が不自由になるというのはなかなか心に負担でした。

 

ご飯

心が死なないためにほしいもの(WANT)でも触れましたが、病院食は白米の量が多いんです。
おかずは基本的に「薄味・柔らかい・油控えめ」。
普段の倍の量の白米を食べるにはおかずが物足りないんですよ…。
見るからにカロリー控えめで、しっかり食べないと変に痩せてさらに体力が落ちそうだったので、ふりかけでどうにか完食していました。
また昼食と夕食は何が出てくるか楽しみでしたが、朝食はだいたい何が出るか決まっていたので、特に楽しみもなく…ついでにただの食パンだったのでそんなにおいしくもなく…。
もし入院先を選べるならご飯の満足度が高いところがいいですね、絶対に。

食材の組み合わせや味付けなど勉強になったメニューもありました!

 

コロナ禍での入院

私が入院したときはコロナ禍の真っただ中だったんですよね。
平時はできることもできなくなっていることが多かったです。
そんな状況下で患者に大きな影響がある点は以下の二つ。
(もちろん病院や病状によって違うのであくまで私の体験談としてご参考までに)

 

患者の軟禁状態

一度入院してしまうと、患者は病室のあるフロア以外は立ち入り禁止。もちろん売店にも行けませんでした。
気分転換に庭に出るのもできず、また用もないのにフロアをうろつくのも気が引け、来る日も来る日もベッドの上。息が詰まりそうでした…。
また荷物の受け渡しを除いて面会は禁止。お見舞いはダメですし、荷物の受け渡しも事務の方が荷物を取り次いでくれるだけで来てくれた人に会うことはできませんでした。
あと院内コインランドリー使用禁止だったので家族には3日に1度の頻度で洗濯物を取りに来てもらっていました。けっこうな負担だったと思います…。
ちなみに、大部屋内は常にベッドごとの仕切りのカーテンが閉じられており、患者同士で会話する空気でもなく、無言の空間でした。別に話してもいいんですけども…マスクしないといけないという面倒さも相まってほとんど会話しませんでした。
こんな感じだったので「軟禁」と表現したくなるというものです。
私は一人静かに過ごすのがそう苦痛ではないのでのんびりできていいや、くらいでしたが、さすがに人恋しくなってたまに家族と電話するのがものすごく楽しみでした。

 

Wi-Fi設備の充実

一方でコロナ禍によるメリットといえば遠隔で色々なことが可能になること。
私が入院した病院では、面会禁止を受けてお見舞いはリモートが推奨されていました。
そのためテレビ通話をするためのWi-Fi設備が整い、病室でもWi-Fiが使用できるようになっていました。
その恩恵のありがたみといったら。電子書籍を買って時間をつぶし、見ようと思っていた動画を一気見し、退院したら行きたい場所について検索しまくり…。
これらができなかったらどうなっていたのかは怖くて考えたくありません。
そうそう、当たり前ですがテレビ通話は談話室のみ可(大部屋は他の患者さんもいるので禁止)でした。談話室ではもちろん他の患者さんも通話していますので、通話は従来の耳に当てる音声通話か、ハンズフリーやテレビ通話を使う際はイヤホン必須となっていました。

コロナ禍のメリットデメリットが色濃く出ていました。

 

 

終わりに

病院のお世話にならないに越したことはないですが、生きていればどうしてもお世話にならなくてはなりません。
そんなときに焦らないよう、備忘録として残しておきたくて書きました。
誰かのお役に立てれば幸いです。

何よりも、日頃の健康管理には気を付けましょう!!

Google AdSense 覚え書き(2020年10月)

こんにちは、うたげです。

このブログ、実は二年目の終盤を迎えています。

とはいえ更新頻度は高くなく、それに比例して運用に必要な知識もあまり身についておらず…。

仕組み自体をよくわからなくてもググってしまえばなんとかなるものですが、ピンポイントでほしい情報が出てこず手探り、ということも世の中往々にしてありますよね。

そういう仲間に向けて何か役に立てばと思い、私の体験を記しておきます。

目次

AdSenseの広告配信が制限された

こんなメールを受け取ったらビックリしてしばし呼吸さえ忘れてしまいますよね。

内容は至ってシンプル。

あなたのアカウントでの広告配信を止めましたよ、というもの。

このメールを受け取ったら原因の特定と解決に奔走する日々の始まりです…。

原因は何だろう?

制限の原因として、一番重篤なものはやはり「意図的に自分で広告をクリックする」ことでしょうか。

Googleからのメールやヘルプセンターにもトップに書いてあることから、問題の重大さが伺えます。

ただ、私は小心者なのでそのような真似はできません。

世界一の頭脳が集まるGoogleのシステムです。

一般人がそんなことをしてもきっと収益にならないようになっているだろうな、と制限メールを受け取る前から勘付いていましたよ。

というより誰だってそこに簡単に思い至ることができるので、この理由で制限をくらう人はそう多くないのでは…?と思っちゃいます。

おそらく次に挙げる原因が多いのではないかな。

個人ブログでありがちな原因

それは…

WordPressのバージョンアップ!

自分で広告クリックした記憶が一切ない私は、Googleの言う広告配信制限の原因には一切当てはまらないはず。

自力であれこれ調べたり試したりして、広告制限の解除を目指しました。

実は過去にも一度止められたことがありまして、そのときはガチャガチャやっていたらいつの間にか…という感じだったので確証が持てなかったのですが。

今回、二度目の制限をくらってみて、ようやく原因の特定ができそうですよ。

個人ブログで低頻度の更新だと、記事の投稿にばかり意識が向いて、プラグインの更新などブログの環境自体を少し疎かにしがちじゃないですか?

そうじゃない?

……私はそうなんです。

まぁ話を戻すと、おそらくプラグインが最新でないことくらいは特に問題ではないと思いますが、WordPressが最新バージョンではないことはAdSenseにとって致命的なのでしょう。

最新版になっていないということはメンテナンスがされておらず、収益性が望めないどころか様々な危険をはらんでいますからね。

というわけで、自分で広告をクリックしていないのにAdSenseアカウントでの広告配信が制限された…という人は、一度ご自分のサイトをチェックすることをおすすめします。

(おまけ)まだまだ油断は禁物

ここからは完全に私の覚え書きですが、同じ目にあう人がいるかもしれないので。

今回、WordPressをバージョンアップしたので、headerにAdSenseタグなどを再度入れる必要があります。

前回のバージョンアップ時に対応したとおりにテーマエディタで更新…しようとすると、タグを入れたあとのファイルを保存できない。

Scrape nonce check failed. という英文が出てきます。

それどころか自分で追加したタグを消して、タグ追加前のプリセットなファイルすら保存できないではないですか!

仕方なく別ページに遷移してからまたheaderファイルを見ると……真っ白になっている!!

慌ててXserverのバックアップで前の状態に戻しましたが、おかげさまでその日におこなったWordPressバージョンアップやプラグイン更新などもすべて再度やる羽目になりました。

(おまけ)原因は…お前だ!

出て来た英文で検索をかけるとこちらのサイトがヒットしました。

テーマエディタでファイルを編集すると、保存するときに、phpのエラーがないかチェックしてくれますが、以下のような場合にうまく動かないために発生するのではないかと思います。

ロードバランサーやCDNを利用している場合

DNSの設定変更をした場合

キャッシュ等に影響するプラグインを使用している場合

SOFTELメモ 【WordPress】Scrape nonce check failed. Please try again. – https://www.softel.co.jp/blogs/tech/archives/6435

キャッシュ等に影響するプラグインがあやしそうです。

ちょうどプラグインを更新しているときに、いつインストールしたのか記憶にないほど使っていないであろうキャッシュ系のプラグインを見ていたのですよね…。

というわけでこいつが原因の可能性が濃厚なので、プラグインを停止。

そしてテーマエディタでファイル編集すると…保存できました!

やはりキャッシュに影響するプラグインが原因だったようですね。

その後もそのプラグインは止めたままですが特に影響はなさそうなので削除を考えています。


いつまでたっても慣れないブログ運営。

こんな感じでもがきながら続けていく予定です。

対人態度のベースライン

こんばんは、うたげです。
今日は、生きていくうえで、どこでどの顔を見せるべきか?というお話。
私は事務方の仕事ですので営業系だとまた話が違うだろうなと思いますがあくまで私のケースのお話。
職場である人が自分にだけ態度が冷たいなどと感じ始めた…そんな方に読んでほしい内容です。

 

人によって態度が違う

突然ですが私の職場の同僚の話です。
Aさんは優秀で様々な仕事を高い品質でこなし、社内の部署間の調整役も買って出てくれているためたくさんの人から頼られる存在です。
できる人に仕事が集まるのが会社の常。Aさんは日々忙しく働き、たくさんの難しい仕事を抱え、そのうちに段々と同じチーム内の人への態度が横柄になってきました。
後輩に何か聞かれればあしらうように答え、忙しいさなかに上司に仕事を頼まれても不機嫌さを隠さない。私も気づけばAさんに話しかけてもこちらを向こうとせずぶっきらぼうな返事があるだけ、給湯室で会って会話してもニコリともしない、という状態になっていました。
ただし、Aさんが教育係としてついている新人にはきちんと優しく丁寧に接している様子は確認できました。
相手によって態度を変え、間違えてはいけない相手にはしかるべき対応を取っている点は安心しています。

でも、その新人に丁寧な態度を取っていることで、こちら側に募る不満というものもあります。

 

ベースラインより下を作るかどうか

新人に優しく、という態度は問題ないのです。何年も一緒に働いている人と同じ接し方ではまだ意思疎通がうまくいかないでしょう。
新人と同じ態度で接してくれとは思いません。
でも私はAさんの私に対する態度については不満があります。なぜかというと、Aさんが引いている対人態度のベースラインの、遥か下の位置付けの態度を取られているから。

今回問題だと感じたのは、この二点です。

  1. その人の対人態度のベースラインの上にいるのか下にいるのか
  2. そのベースラインの設定は職場で適切なのか

 

1つ目:対人態度のベースラインの上か下か

人によって態度は変えると思いますが、だいたいの人は場に応じて基本となるベースラインを持っていると思います。
街中で急に話しかけられたら冷たく、職場の人にはスマートに、パーティーで話す人には気さくに、など。
そこまで使い分けられなくても、こうしたい・こう見られたいという意識をある程度持って、みな行動していると思うのですよね。

では、職場ではどういう設定にするか。Aさんはどうしているか。
基本的には丁寧に応対すると思います。仕事なので当然ですね。
Aさんも他の部署の人たちには丁寧に応対しています。いわばこれがAさんの職場における対人態度のベースラインです。
そのベースラインより上にあるのが、Aさんの新人への態度。しっかり育ってほしいので丁寧に教えようという気概が見えて、それについては私も好ましく感じています。

問題なのは、そのベースラインより下に設定された人です。
今回のケースでは私やAさんの後輩ですね。
残念ながら日頃から一緒に仕事をしていると、ベースラインより下だ、というのがよくわかってしまうのです。
これが例えば、たまにやり取りする程度の他部署の人ならば、多少冷たい態度でもそういう人なんだなと納得できるのでしょうが…。または、誰に対しても無愛想なら、こういう人だからと納得できもしますが…。
明らかに他の人より軽んじられているというのがわかってしまうので私は不満を覚えたわけです。

親しき中にも礼儀あり、という言葉、まさにその通りです。
Aさんとは数年一緒に働いているため職場の中では親しい間柄です。親しい関係なら丁寧に応対しなくても多少の説明を省いても、意図をくみ取ってくれることもあるでしょう。
ですが、丁寧に応対しないということと、ぞんざいに扱うということは、イコールではありません

 

2つ目:職場でのベースライン

ベースラインより下に位置付けられた人間の意見を述べてきましたが、それを読むと、「じゃあベースラインを元から下のほうに設けておけばいいのでは?」と思いますよね。
でもそういう「ハードルを下げる戦法」もうまくいかないから難しい!

元から無愛想気味の人、という設定でいくと、そもそも人からあまり話しかけられなくなると思います。
話してみればいい人、と思ってくれる慣れ親しんだ人に囲まれていればそう問題ではないでしょうが、仕事仲間は入れ替わるのでその選択肢は賢くないですよね。

かといって上に設定してしまうと、ベースラインより下の人が多くなるので危険です。
下手をすると、いい顔をするくせに本性は嫌な奴だ、なんて受け取られかねません。

じゃあどこに設定すればいいの?という疑問。これは私もまだ答えが出ていません。というより、わかっているけど、実行がとにかく難しい。実践できていないのでこれが答えだ!と自信を持って言えない。けれど。

  • 自分が無理せず続けられるところにベースラインを設ける

これに尽きるのだろうと思います。わかって実行できれば苦労はしないですね。

Aさんの場合は、自分のキャパシティよりも上に設定してしまっているのだろうなと思います。
一度、その場でのベースラインが定まってしまうと、それを変えるのは相当大変です。無理だと思ったほうがいい。
続けなければいけないけれど本人は息切れしてきて…その帳尻を、親しい間柄で合わせることになってしまうんでしょう。

やはり早いうちから人間関係の場での自分のキャパシティは把握しておくに越したことはないですね。
それには色々な場での人付き合いを持つことが必要だと思います。
もしくは、傍若無人の言葉通り、我を通して通しまくって、周囲が合わせてくれるのを期待するかですが…。
後者はよほどの天才だとか魅力的な部分がないとできない戦法ですね…。

 

ベースラインより下に置かれたときの対処法

私がここであれこれ言っても、Aさんの態度は変わらないでしょう。
また、言ったところでいらぬ争いを起こすだけです。Aさんは態度を変えないでしょうし、変えたとしても、私がAさんの態度を不満に思っているという事実が伝わり、お互いにしこりが残るだけだと思います。

こういうときは、とにかく無視!受け流すしかありません。

ここで私がAさんへの態度を変え、ベースラインより下の態度で接したり、逆に妙に甲斐甲斐しく丁寧に接するというのは、Aさんと同じことをするということです。
同じ土俵に乗ったら負け。職場の人間関係での揉め事は本当に無益です。

 

みんな不器用だから、「我関せず」を貫くしかない

人間関係を円滑にするため耐える側に回っている人間がいることはもう少し評価されてもいいかなとは思います。
Aさんのような人ばかりだったら、優秀な人同士でも、人間の集合体として機能しなくなるでしょうね。

…と精一杯の負け惜しみを言ったところでここまで。
こういう人付き合いは本当に難しい。せめて大学や高校でこういう一般教養の授業があればいいのにな。いきなり実践の場に放り込まれて分析と対処を求められるのはハードルが高いです。

ちなみに私はやや無愛想めで通しています。戦略的にそうなったわけではなく元の性格でイヤイヤそうなってしまったのですが…。
これはこれでAさんとは別の種類の、致命的な不器用さですね。

………そう、みんなみんな、不器用なんです。特に高学歴なAさんのように、机にかじりついた青春を送った人ような人は。だって学校で習わないし。
同様にそういう人を相手する側も、不器用です。相手を許容なんてとてもできない。

だから、スルーするしかないのです。
他人の問題は、他人の問題
他人と自分をつなぐ線の上での問題は、片方の努力だけでは解決しません。
お互いが努力できるかというと、問題が起きて自覚した頃にはそんな関係でもないし…。
よほどの大問題でない限りはこの手のことは無視です。私は。

無視もうまくし続けられればいいのですが、自分の心に余裕がないとスルーできないときもあります。
他人の問題は他人の問題ですが、他人と接することでストレスを受けるのも事実。これは自分自身の問題なので自分で解決しましょう。

そういうときに大事なのが、没頭できるほど好きなことです。
休みの日に好きなことに触れてリフレッシュできれば、仕事のあれこれはどうにか耐えられる!と信じています。
いや、というより、信じたい。

みなさん趣味はありますか?忙しくて趣味の時間が取れない方も、これは好きだなというものの世界を自分の中で大切に温めていてほしいなと思います。
自分の中に自分が好きなものだけで作り上げた世界があるのとないのでは違うと思います。そこにいつでも行けるようたまには見に行ってほしいです。あんまり見に行っていないと、人の住んでいない家が荒れるように、記憶が薄れて何が何だかよくわからない世界になっていたりね。

Aさんも休みの日に趣味を楽しんで職場でのイライラを減らしてくれるといいなーと願っています。

 

生きづらい人に読んでほしい記事

生きづらいと感じていること

気持ちよく働きたい!

コミュ障にはつらい場面

いつも同じところを回っている

子供叱るな、来た道じゃ 年寄り笑うな、行く道じゃ

Google AdSense覚え書き

こんばんは、うたげです。
先日、審査通過したグーグルアドセンスについてのメモ書き。
これさえ守ってれば(たぶん)大丈夫!という、最低ラインであろう条件を書き出していきます。
先にお断りしておきますが、自分用のメモ書きでもあるので、かなりざっくりです。
より詳しい方法などは他に参考になるサイトがたくさんあります。

 

審査通過した!

先日1月23日、Google AdSenseより一通のメールが。

「おめでとうございます。」との文章が!!

アドセンスの審査に通過したお知らせをようやく受け取れました。

いやー長かった…
ほとんど下調べせず始めたので、何度も不合格通知を受け取りました

その中で試行錯誤して、「これさえあれば」というラインのようなものを見つけました。

  1. 独自ドメインであること
  2. プライバシーポリシーがあること
  3. 連絡が取れる状態であること
  4. 掲載画像は著作権や肖像権に触れないものであること

以上です。

これが守れていれば、コンテンツが充実しているとか、内容が面白いとか、そういう「誰が見ても明瞭な物差しで測りにくい部分」は関係ないのでは?と思います。
グーグルなので人が一つ一つチェックしていると思えないので、満たすべき要件には、面白さなんていう定性的なものは入っていないような気がします。

 

やったこと① 独自ドメインの取得

これがめちゃくちゃ長かったです。何がっていうと、私は勢いで始めるタイプなので、先人たちの忠告を読まずに「WordPress.com」でブログを始めてしまいました。
で、色々進めていくうちに、ここではアドセンスができないことが発覚。ドメイン移管のできる、取得から60日経過まで待ち、その後は移管期間を経てようやくスタートラインに立った…という具合です。
私の二の舞になる間抜けはいないと思いますが、WordPress.comではアドセンスはできないので、よほどこだわる理由がない限りは別のところで始めたほうがいいと思います。
というか単なる趣味なら無料のレンタルブログでいいような気もしますが…書いてて少しでもお金入れば嬉しいのでね…

詳しくは他に色々参考になる記事があると思いますが、私は「ムームードメイン」で移管しました。

 

やったこと②プライバシーポリシーの掲載

広告配信するにあたり情報収集しますよ、という宣言のようなものですね。
ググると参考になるサイト様がたくさん出てくるので、いくつか読んでみて、書きました。
テンプレ配布してくださっているありがたいところもあるのでサクッと掲載。

 

やったこと③連絡を取れるようにする

いわゆる「お問い合わせ先」の記載です。
メールアドレスの明示でもいけそうな気はしますが、それはさすがにセキュリティの観点から気が引けたので、問い合わせフォーム設置にしました。

 

やったこと④掲載画像の確認

当然ですが著作権・肖像権に触れていないことが大事です。
ネットのどこかから拾ってきた画像はNGですね。
自分が撮影した写真でも、他の人が顔が見える状態で写りこんでいるのはNG。トリミングして人の顔が入っていない画像に差し替えました。

 

ヘッダーにコードを差し込んで完了!

以上のことをして、ヘッダーにアドセンスのコードを差し込み、完了です。
ヘッダーは、外観>テーマ編集>header.php(ここの名称はテーマによる)のheadタグ内で編集。
テーマを更新したらアドセンスタグも消えるので注意!更新したら再度差し込みですね。

 

たぶん関係なさそうなこと

内容の面白さ

自分で言うのも悲しいですが、こんな面白くない雑記を自己満足で書いているだけのブログなので、他人には面白くないと思います。私が面白いので続けているだけです。多少お金につながったらいいなって…。
それでも審査は通過しました。一日にとんでもない数の申請があるはずのグーグルアドセンス、さすがに機械巡回だと思うので、品質面には基準を設けていないんじゃないかな、と思います。だって不要だと思いませんか?面白さは基準なしで通して、面白くなかったらその人の受け取る金額が小さいだけなので、グーグルにしてみれば基準を設けないほうが効率的なんですよね。

記事の多さ

審査通過時、私のブログは35記事ほど。長いのもあれば短いのもありますが平均して1万字/1記事には到底到達しない文字数です。中には「100記事が最低ライン」と言うサイトもありましたが、分量もあまり関係ないのかなぁと。
前述の品質もそうですが、審査の最低ラインは、「危険がないこと」だと思うのです。「利益となるかどうか」は、収益という結果に表れてくるので、事前に面白くないサイトを弾く必要性はないのかなーと思います。

広告リンク(確認はできてません)

商品レビュー記事で、当該商品の購入サイトへリンクを飛ばす、というのはよくあると思います。そのときに自分に紹介クレジットが入るリンクを貼っていても審査に通るか、というお話ですが。
貼っていても通った、という方もいるようです。私は念のために全て外してから申請しましたが、大丈夫そうなら戻そうかな…。

大人になってからの歯列矯正

こんばんは、うたげです。
今日は歯列矯正のお話。
もともとガチャガチャだった歯並びの身としては、きれいな歯並びだと歯を見せて笑うのも躊躇なくできるようになり、人と接するときの気持ちがだいぶ変わるものですが。
乱れた歯並びをきれいにするには何がどのくらいかかるの?大人になってからもできるの?という疑問、私の体験談からお答えします。もし大人になってから歯列矯正をしたいけど迷っている方の、参考になれば嬉しいです。

 

 

歯列矯正に必要なもの一覧

私の経験について、結論から言います。

  • いつやった? → 24歳~
  • どのくらい装着していた? → 装置は2年半
  • お金は? → 200万円弱。
  • 矯正の種類は? → 歯の裏側に矯正器具装着。
  • 効果は? → アリ!!
(注意)
あくまで私の経験の範囲内です!
歯の状態・選ぶ歯科医・治療方針などなどにより様々なバリエーションがありますので、ご参考までに。

私は十分成長しきって大人になってから矯正を始めました。小学生~高校生がやるものという印象があったので、こわごわ始め、大変なこともありましたが、無事に終了し、5年ほど経つ今でも歯並びはキープできていると思います。最近では40代の職場の知り合いが矯正を始め、矯正あるあるで盛り上がりました。

というわけで、大人になってからの歯列矯正、全然いけます!大丈夫です!
お仕事との兼ね合いはあると思いますが、何より、

  • 自分の選択だという責任感から忍耐力が生まれ、完遂できる
  • 自分のお金なので気兼ねなく好きなやり方でできる

という具合にメリットもあります。

では私のケースをそれぞれ詳細にご紹介します。

 

大人になってからもできるの?

歯列矯正は日本では欧米ほど当たり前ではないですが、それでも昔よりは定着しつつあると思います。
中学生までは保険適応もできたと思います。永久歯に全て生え変わったらできるので、小学生くらいから可能ですね。

小学生くらいの頃にはすでに歯並びが悪かった私。上の前歯は曲がっていたし、下の歯は重なっていたり押し出されて列から前に飛び出す歯があったりと、かなり悲惨な状態でした。
原因はあごと歯の大きさのバランスと、親知らず。あごの大きさに対して歯が大きいらしく、収まりきらない分、重なったり飛び出したりするしかなかったようです。そこに追い打ちをかけたのが親知らず。口の中心部に向かう感じで真横に生えてしまったため、横からの力でさらに歯の列が乱れたようです。
気にした母はかかりつけの歯科医に相談したそうですが、当時の田舎の歯医者では、歯の外側に銀色のワイヤーを通す矯正方法しかなく、「銀歯」とからかわれいじめられるのを恐れた母は、これも愛嬌だと歯列矯正をさせなかったそうです。私の幼少期の引っ込み思案な性格もあっての判断だったと思います。
その後、特に気にすることもなく育ったのですが、大学生のときの友達との写真を見て気になり始めました。しかし必要な金額を知り愕然。大学に通わせてもらって一人暮らしもさせてもらっている身で、さらにお金を出してくれとは言えず…働いてお金を貯めてから始めようと思った次第です。

会社に入り3年ほど働いて、まとまったお金ができたのでいざ開始!!
人より遅い矯正開始だけど大丈夫かな、という漠然とした不安を先生に話すと、
「大丈夫!私も30代で矯正したよ!それに、大人のほうが、自分で選んで始めてるから、最後までちゃんとできるし。小中学生だと親に始めさせられて途中で挫けちゃう子もいるんだよね」
と力強い言葉が返ってきて、すごく安心しました。と同時に、この先生に任せよう!と誓いました。

 

歯列矯正をする前に準備すること

さて歯列矯正を決意したのはいいのですが、その前にやるべきことがあります。
レントゲン撮影や型取りなど現状の確認も必要なのですが、実は、
矯正装置を着ける前に歯を健康な状態にしないといけないのです。
というのも、矯正装置は一度着けてしまうと、矯正が終わるまで取り外ししません。ワイヤーは取り外して新しいものに変えますが、ワイヤーを着ける装置は外せないんです。装置が着いていると、歯の状態が確認しにくいし、当然、治療もしにくい。なので虫歯などは完ぺきに治療しておかないといけないんです。
これがけっこう期間かかりました…3ヶ月はかかったと思います。普段から歯はしっかり手入れしないといけないですね…。

 

矯正の種類、メリットデメリット

歯列矯正にもやり方がいくつかあります。
私が聞いたのでは、「表側」「裏側」「インビザライン」の3種類に大別できる、というお話でした。
簡単に下にまとめています。
あくまで私が先生から聞いた話や自分で感じたりググったりしたことをまとめただけなので、もっと真剣に検討したい方はご自分で調べたり先生に相談したりしてくださいね!私は目立つのがどうしてもイヤだったので裏側一択でした。

 

表側 裏側 インビザライン
メリット
早く終わる
きれい
比較的安価
人から見えにくい 人から見えにくい
着脱可能
デメリット
すごく目立つ 着け始めはしゃべりにくい
食事もしにくい
時間がかかる
裏側のみでは完璧にならない可能性
もともと歯並びがいい人向け
習慣化が必要

表側」はよく見かける、一発で矯正中とわかるアレですね。最近はワイヤーも透明なものや色付きのものがあったりとオシャレ要素もあるようですが、やはりかなり目立つと思います。でも、表から調整するので、きれいな弧のカーブとなるよう調整すればいいので、きれいに仕上がるし、おそらく比較的安価で済むかと思います。

インビザライン」は、透明なマウスピースのようなものを装着し、じっくりじわじわ整えていくというものだそうです。ですが私くらいに乱れていると使えないそうなので、これはあくまで小さい頃に矯正していたりもともと歯並びが良かった方が、大人になって少しだけ崩れたのを元に戻すために使うものかな、と思います。もともと乱れている人には選択肢にはならないですね。

裏側」を私は選びました。やはり目立ちにくいというのが一番のメリットになりますが、それ以外ははっきり言ってデメリットだらけです。
まず、裏側に装置があるので、舌の動きが制限されてしゃべりにくい。最初はモゴモゴと、口の中に何か入れているような話し方になります。職場の人には事情を話して理解を得ていたほうがいいです。また、食べるときの咀嚼や飲み込みのときには、歯の裏側に相当な力がかかっています。なので食べ物が挟まりやすいし、ワイヤーも外れやすいです。
あとは仕上げの難しさですね。乱れた列をカーブ上に整えるとき、カーブの外側からなら押し込むのが主なので整えやすいのですが、内側からだと内に引っ張るよう力を加えないといけません。押し込むならワイヤーで締めればいいのですが引っ張るとなるとそうもいかず、表側より時間がかかりやすいです。
それに、裏側に装置をつけワイヤーを通して整えるということは、実はかなり高度なことなんです。表側ならワイヤーがきれいなカーブになるよう着ければいいのですが、裏側だと、表がきれいなカーブになるよう、歯それぞれの厚みを計算してワイヤーをつけなければいけません。というわけで裏側からだけでは完ぺきにはならないかも。私は、特に乱れがひどかった下の歯列は、終盤だけ装置を表側につけて調整をしました。下だけならそこまで目立つわけでもなかったのでよかったです。

ちなみに、何をどう選ぼうが、初めはかなり痛いので覚悟してください。
歯がどうやって動くかというと、脱臼させるような感じだそうです。骨に力をかけて無理やり動かすので当然痛いです。脱臼して動くようになり、慣れてもくればだいぶ楽ですが、始めてすぐや調整でワイヤーを締められたあとはかなり痛いです。何も噛めないので仕方なく蒸しパンとココアや野菜ジュースでカロリーを取っていました。
私は無縁でしたが人によっては装置が当たることで口内炎ができたり、痛みで眠れない、ということもあるそうです。歯列矯正って大変ですよね。

 

何がどのくらい必要なの?

さて、何より切実な問題は、お金ですよね。十代の歯列矯正には保険適用できるものもあるそうですが、大人の歯列矯正は全額自己負担。

私は裏側からの歯列矯正で120万円かかりました。
見積書ももらって支払った金額で、装置の作成料ですね。

ただ、これが全てではありません!
装着前の虫歯治療の他、調整と呼ばれるワイヤーの付け替え作業があります。これが1回5,000円。調整ははじめは週に2回、その後は様子を見ながら間隔を空けて行くので、けっこうな回数行っています…怖いので計算していないですが、トータルで200万円近くかかっているのでは…?改めて計算すると、こ、こわい…

また、これも大事な期間の話。
私は裏側からの歯列矯正で2年半ほど装着していました。
ただこれは元の歯列の乱れ具合はもちろん、表側か裏側かでも変わります。2年半はかなり長いほうだと先生は言っていたので、これより短い方が大半ではないかなと思います。

 

矯正して、よかった!

Twitterなど匿名性がありマイノリティが声を上げやすい場では、美容整形なども本人にとっていい効果があるなら悪ではない、という見方が主流になってきているように思います。
私は、歯列矯正は健康面での効果も大きいので、美容整形とは違うと思いますが、きっかけはやはり見た目の問題ですよね。

私は、歯列矯正をしてよかったと、心から言えます。

昔のことなので写真が残っておらず、矯正の前後比較をお見せできないのが残念なのですが、人に見せられる歯並びにはなったと思っています。
歯を見せて笑うことに躊躇しなくなり、笑顔で写る写真が増えました。化粧や服装を頑張っても歯並びで台無し…と鏡を見て思うこともなくなりました。
歯も磨きやすくなったし、お手入れについて意識を改め、この歯を一生大事にしていこうと思っています。

もし歯列矯正を迷われている方や、歯並びが気になるという方がいたら、今からでも遅くありません!ぜひ一度歯科医へ相談してみることをおすすめします。

そして歯列矯正とは無縁の方!その遺伝情報に感謝しながら、それでも歯科医へ行ってください。
定期検診は本当に大事ですよ!歯は失ったら取り返しがつかないし、食事の楽しみも失われてしまうかもしれません。おいしいものを楽しくいただくためにも3ヶ月に一度の検診はおすすめです。

和音と旋律

こんばんは、うたげです。
今日は、物語とか旋律とかについてのお話です。
人見知りで引っ込み思案で内気な私には物語は起こりませんが、皆さんは最近、物語が身近に起こりましたか?

 

個と全体

物語とはよく使われる単語ですが、「ストーリー」「お話」「顛末」「起承転結」あたりが近い意味や関連性の深い言葉でしょうね。
要するに、何が起こってどうなって…ということ。

ツイッターで時折見かける、「設定と物語を混同している」という趣旨の発言。
設定を事細かに決めるけれど、その設定を活かしたお話となると思いつかない…という人がいるみたいですね。
私はお話を書く人ではないので設定を決めるほうが楽しいとかはよくわからないのですが……どこかで聞いた話にも共通するなと思っています。

 

旋律は和音の結果である

学生時代にお世話になった先生がおっしゃっていた言葉です。
和音の進行があり、その和音の中の一つの音をつないでいったものが旋律だ、と。だから旋律の中の一音ではなくて和音の中の一音としてとらえなければいけない――そういった趣旨のことだったと思います。

合唱でも合奏でもいいのですが、複数人で何かを作り上げるとき、私たちはどうしても一人ひとりの旋律に集中しがちです。
仕方ないんです。自分ができることは自分のパートを全うすることだけだから。そうなると自分の音の集合である旋律のほうばっかりに意識が向きます。

でも、本当は、自分の旋律の中のどの音も、和音を構成しているはずなんです。ソロであっても、他の音が鳴っていないだけで、和音はたしかに存在していますからね。
だから全体の中で自分がどこにいるのかということを意識しないと、結果として素晴らしい音楽にはならないんですよね。個々の旋律が積み重なっても音楽とは言えない。和音を動かすんだ。和音が動いた結果が、旋律なんだ、と先生は力説されていました。

 

物語と設定

設定と物語も同じことかしら、と思うのです。
個々の設定を詰めたところで、全体の物語がなければ作品としては完成しません。
あるキャラクターの過去や現在などを設定しても、そのキャラクターがどう動いて何を起こして、それが他のキャラクターとどう関連してくるのか。そういう全体の動きにあたる部分がないと、どんなに魅力的な設定のキャラクターでも魅力的に受け取られないのではと思うんですよね。

大きな物語の筋があり、その展開のために必要なキャラクターが設定されるほうが、ストーリーとしてはスムーズに流れ、面白いように思います。
キャラクターデザインで売るやり方もあります。子どもが好きなのは見た目が好みのキャラクターだったりしますからね。キャラゲーという切り口もありますし。

何を重視するかは人それぞれの好みですが、あくまでお話の面白さなども含めた「作品」という切り口だと、やはり物語の比重のほうが高いかなと私は思います。先にキャラクターありきだと、どうしてもそのキャラクターだけ際立ってしまってバランスが悪かったり、話の展開に制約がかかるような気がするので…。……設定と物語、どちらも両立した作品を生み出す、神のような人もいますが…。

 

でもやっぱりバランスが大事

旋律は和音の結果」という言葉、なかなかに深いなと、時が経つほどに思います。
自分は一人しかいないので旋律の良さを追求してしまいがちですが、職場では和音の美しさを求められたり。友達グループの和音のために自分の旋律を意図していなかったほうへ広げたり。
結局はバランスなのでしょうね。和音も旋律も、どちらもおろそかにすることなく、バランス良く力を配分できるようになりたいです。

このブログを読んでくださっている方は大丈夫かと思いますが、以上はあくまで私個人の意見なので…私は漫画や小説などのお話を作る人でも、音楽作りに携わっている人間でもないので、外野が心に残った名言に絡めて何か騒いでいるなぁくらいにとらえて頂ければ幸いです。

思い通りにいかない体

こんばんは、うたげです。
男と女の決定的な違いは、生殖における役割。
それぞれの苦悩があることと思いますが、女性からすると理不尽にも思える女性の体の仕組み。
今回は生理について書きたいと思います。

 

きたきた!

月のもの。月に一度のあれ。
始まると落ち込みますよね…月によっては始まる前から気分の落ち込みがあったりしますが。

生理。女性の体を持っているなら避けられない現象です。

先日、主人と話していたのですが、やはり生理がどういうものか知識として知ってはいても、体験したことがないから男性は感覚がまったくわからないそうです。
生理にまつわる諸症状は言葉で伝えているのですが(だって色々協力してほしいから)、やはりどういう状態なのかはまったくピンときていないようです…。

 

経験していない人に伝えるのは難しい

私は、いわゆる生理痛は重たいほうだと思います。
腰骨のあたりがゆーっくり確実に万力で締め付けられるような、痛みと呼ぶのも微妙なレベルの鈍い痛みと不快感。全身の倦怠感に、強烈な眠気、たまにごく軽い吐き気。あと何より気分の落ち込み。すごくネガティブになるし、その裏返しで攻撃的にもなります。

これらのことは、主人にははっきり言うようにしています。「機嫌が良くないからあまり騒がないで」「だるいから片付けやっといて」とか。
痛みとか気分とかは、本人しかわからないので、言うしかないんですよね。
でも、言ったとしても、生理の経験がないのでわからないだろうなと思います。だから、具体的にどうしてほしいかまでをセットで言うように気を付けてはいるのですが…わからないから、ただ不機嫌に命令してくるだけ、みたいに思われていたら嫌だな…。

 

だって血が出てるんだよ!

でも、明白な事実として、「血が出ている」というのはわかりやすいみたいでした。
股から五日間血が出続けるんだよ!鼻血なら五分出続けたら大慌てなのに!と訴えたところ、なんとなく気圧されたようで、私の要求は飲んでもらえました。

同じ出血でも、場所や勢いで扱いに違いがありますが、血液は体の内側にあるもの。それが体外に出てくるというのは、体にとってはけっこうな負担だと思うんですよね…。通常の排泄とは違う場所から出てきますし。

 

人間は進歩しすぎた?

いかに生理が大変かを熱弁したところ主人がこぼしたのが、「人間っていう生物の欠陥だよね…」。
人間と言う種レベルまで話を広げるのかと思いましたが、たしかに一理あります。

昔みたいに十代で嫁いで産み育てるのが女の仕事、母娘が同じタイミングで出産…なんてことはほぼなくなりました。流行り病やらなんやらで命を落とす可能性も今と比べ物にならないほど高かったでしょうし。昔は、妊娠可能になってから閉経するまで、だいたい妊娠していたんじゃないかなと。
でも今は疫病や栄養失調とは無縁の現代です。社会で生きていけるように育てるにはお金も時間もかかるので多くの子は持てない時代です。現代では、そんなに長期間、妊娠に備えておく必要はないはずなんです。

つまりは人間社会の進歩に、肉体の進化がまったく追いついてない、と言えるのではないでしょうか。
日本で戦争が終わってから100年も経っていないので、そんな短期間で生物の進化があるわけもなく、正しくは、人間社会の進歩が、肉体的な負担を考慮し切れていない、となるわけですが。
社会が進歩したら生きるのが楽になるものだと思うのですが、楽になった感覚はほとんどなくて、これが本当に進歩と呼べるのかわからなくなってきました。生理のときはしんどいので働かなくていいのが一番楽なんですけど、今は働くために生理痛をどうにかしたいという、なんだか本末転倒なような…?

 

振る舞いも難しい

この体を現代社会に合わせるのが厳しいなと感じる最たる場面は、仕事です。生理痛がなかなかに重いので、仕事に行かなければならない日は、薬を飲んで無理やり立ち向かうか、ひたすらデスクで耐えるかの二択を迫られます。
私の会社には生理休暇なるものは存在するのですが、名称がそのまますぎて、恥ずかしくて取れません…。しかも、取得したらしたで、毎月休むのか?と思われちゃいそうですし…。
なので、具合が良くないなと感じたときに、理由を告げなくても休みやすい職場だといいですね。もちろん仕事に支障のない範囲で。

 

お付き合いは根気よく

最近、重いPMSにはピルによる緩和も可能とよく聞きます。保険適応もされるみたいですね。実際に私も飲んでいた時期がありました。
が、毎日規則正しく飲まないといけないので、面倒になってしまい、薬がなくなったままです…。
海外旅行と生理が重ならないようにするという目的で飲み始めたのでいいんですけど、ズボラな性格の人間にはちょっとハードルが高い気がします。

でも、飲んでいた間は、たしかにすごく楽でした。
子宮筋腫の件もありかかりつけ医を持ちたいと思っているので、そのときにでも一度相談してみようかな…。

閉経までこの付き合いが続くと思うとゾッとします。少しでも楽しく思えればいいのですが、股から血が出るだなんて不快で面倒でしかないです。
もっと科学技術が進歩して、いい解決方法が出てくることを願っています。

子供叱るな、来た道じゃ 年寄り笑うな、行く道じゃ

こんばんは、うたげです。
前々回に書いたこちらの記事(いつも同じところを回っている)の公開後に、友人の呟きを見ていて、これも書いておかねばなと思ったことがあるので、今回はそのお話です。

 

子供叱るな、来た道じゃ 年寄り笑うな、行く道じゃ

本題に入る前に、ちょっと前置き。
このことわざ(子供叱るな~)、まさしくその通りだなと実感する日々です。
悲しいかな、年を取れば取るほど、本当にこのことわざ通りに人生が進んでいく感覚があるんですよね…

こちらの記事(いつも同じところを回っている)で書いたように、私たちはいつも「来た道」を後悔して叱りそうになります。過去の子どもだった自分がしてきた間違いを、目の前で他人がしているのを見て、止めたくなる気持ちはわかるのですが、自分もしてきたことなので何も言えません。それに、自分も子どもだったことがあるから、何を言われても聞き入れないこともわかっています。

 

行く道も同じ

ここから今日のメインです。
私が若者について感じたこちらの記事は、ことわざで言うなら「来た道」です。「行く道」についても、同じことが言えると思います。

「行く道」にいる人は何もご老人だけではありません。世代が一つ上の方々だってそうです。
二十代は、「三十代はオジサンオバサンで嫌だな、少しでも若くいられるように見た目や流行には気を遣おう」と思っているかもしれません。というか、私がそう思っていました

でも、実際にその年にならないとわからないことだらけですね。人間、年を取れば見た目は老けますし、体力も落ちるし、新しいことについていけなくなります。身体的な成長が止まった日から老化が始まります。下の世代から尊敬や羨望のまなざしで見られることなんてそうそうないです。だって体力はもちろん、センスとか柔軟性とか、若い者には敵わないですから。その分経験を積んでいればいいですが、積んだ経験とそれを伝える手段、両方に優れた人はそう多くないと思います。

以上のはざっくりした例えですが、もっと身に染みた実話もあります。
ジャージと、お化粧
ジャージというより、冬場のいわゆるシャカシャカパンツです。外側が防風仕様で内側がボアの暖かいやつ。あれをはいて外出する人の気持ちがわかってくるようになってしまいました。寒いんだもの…。前は、外に出るのに部屋着みたいな恰好でみっともない、くらいに見ていたのに…。見た目と機能なら機能優先、という話ではなくて、服装に無頓着になってきた感じがあります。
お化粧も、二十代で化粧が楽しかった頃は、オバサンはどうして時代遅れの眉メイクなんだろう、などと失礼なことを心の中で思っていたわけですね。でも今ならわかります…若者に流行っているメイクなんて良いと思えなくてできない…そして何より、普段の眉メイク以外の眉毛を作れない…。前はもっと流行りのメイク方法を試したりしてたのになー?と、自分の老化っぷりにびっくりです。

 

過去と未来の狭間で

ここまで私の老化具合をお話ししてきましたが、過去の自分がああなりたくないと思っていたものになってしまう恐ろしさを、年を取るにつれて実感しています。
十代までは、今の自分で精一杯で先のことなんて私はほとんどまったく考えていなかったので、二十代より先がどうなるかなんて想像すらしていなかったんですよね。でも、二十代になって社会に出ると、自分の所属するコミュニティでの違う世代の人に触れ、その人に将来の自分を少し重ねてみる機会が現れ始めます。そこで「こういう年の取り方はしたくないな」という部分を持った人に出会ったなら、その人を反面教師に学ぶことは、多いと思います。

でも、その人の年齢(あるいは別の条件)に追いついたときに、過去の自分がやりたくないと思った振る舞いをせざるを得ない場面というのが、あります。
そのときに、自分は「行く道」を笑っていたんだなと初めて後悔しますし、同時に、自分の「来た道」を叱りたくもなります
でも、そういうものなんですよね。ここで笑うのをやめても何の役にも立たないですし、叱ったとしても今まさに私が「来た道」を歩いている人にとってはただのお節介なんですよね。こうして人間の行いは繰り返されるんでしょう。

これは、私には人間が受けている罰みたいなものに思えます。自分自身がいくら経験や知識を蓄えて進歩したつもりでいても、命ある限り死んで生まれての循環がそこかしこで繰り返されているわけで、自分が「来た道」と「行く道」をまざまざと見せられ続けている状態です。いくら賢くなったつもりでもお前には何もできないんだ、この循環の中にいて抗えない過去と未来を見ているしかないんだ、と言われているような心持がします。…誰に、何の罪で、なのかはわかりませんが。

 

教訓

「子供叱るな、来た道じゃ 年寄り笑うな、行く道じゃ」
私は、「だから他人には寛容でありましょう」と続ける解釈が一番即効性があると思います。
ことわざ通りに子どもやお年寄りにはもちろん、考えや信条の違う人とも互いに寛容でいたいものです。
また、ああなりたくないなと思った人も、色々な側面があるので、見習うべき部分ももちろんあると思います。そういう色々な側面を見ることも、他人に対して寛容であることの一つかなと思います。一つの側面で決め付けては良いお付き合いはできないですもんね。当たり前のことですが、毎日のこととなると忘れがちです。

…そうは言いつつも、きっと現在進行形で、母親のお小言をうるさいなと感じています。これも、ゆくゆくは、言う側の気持ちがわかり聞き流していた自分を悔いる時が来るのでしょう…。
そうなるであろうことがわかっていても、現在の自分をコントロールできない…。歯がゆいですね。わかってるなら変えろよと自分でも思いますけども。正論であってもすぐ実行できないアドバイスは往々にしてあるんですよね…特に母親からのね…。

 

私は他人に無頓着であれ

最後に。ここまで書いておいて何をいまさら、ということなのですが。
ここまで他人を見て考えているの、我ながら少し気持ち悪いなと思います。
他人への攻撃は自分に自信がないことの表れと聞いたことがあります。
私はオジサンオバサンを見てはああなりたくないと思っていましたが、それは彼らを心の中で攻撃していたようなものなんです。
自分に自信がなかったんでしょうね。今もあるわけではないのでたまに他人に攻撃的になってしまうこともありますが…。
他人を攻撃することで自分を守るんじゃなく、自分の関心はしっかり自分に向けて、他人にはもう少し無頓着でありたい。そのくらいで私は寛容と言えるくらいの態度になれる気がしています。

いつも同じところを回っている

こんばんは、うたげです。
今日は循環や繰り返しといったお話です。
難しく言えば輪廻とかなのかもしれませんが、私の考えるループみたいなお話です。

 

人間だもの

最近、学校が多い地域に引っ越しました。普段仕事をしていると未成年を見かける機会はそう多くないのですが、そういう地域に住んでいれば話は別です。買い物や食事や通勤で外に出れば、若者を嫌でも目にします。

なお、ここでいう若者とは、概ね学生を指すとします。
同じ20代でも学生と社会人はまったく別の生き物です。

 

若者って私から見るとどんな存在?

さて、街を歩いているとよく見かけませんか。友達と喋りながら歩いていたら横に広がって、道を塞いでいる若者。電車で大声でふざけている若者。

まぁ何も若者に限らず、一部の大人もやっていることなのですが。

私は思うわけです。かつての自分を見ているようだ、と。

身に覚えのあることばかりです。
広くない歩道を友達数名と横並びで歩く。後ろから早歩きで人が来ても気づきません。旅行の移動中のバスで歌いもしました。マックの座席は100円で長時間占拠しましたね…。

でも、大人になってみれば、それがいかに周囲にとって迷惑になっていたか気付いてしまうんですよね。色んな経験を経て視野が広くなったからか、働くようになって会社の外では勤め先の顔だという意識を刷り込まれたからか。どういうわけかわかりませんが、かつての自分の行いを恥じる場面が増えました。これがいわゆる「青春」の終わりというものなんでしょうね。

 

世界の中心には何を言っても響かない

けれど同時にこうも思います。

あの時の自分に行動を変えるようアドバイスしたとしても、聞く耳を持たなかっただろうな、と。

なんでか知りませんが、大学生くらいまでは、自分が世界の中心であって今後の自分の人生には楽しいことしか起こらない!という変な確信があるんですよね。
世界の真ん中で仲間と楽しくやっているのだから周りの大人の小言なんて聞こえません。聞く必要がないんです、世界は自分を中心に回っているから。

そういうことも就活などで将来を考え始める頃には落ち着き、これまで自分が世界として見ていた範囲がいかに狭かったかを知り慎ましい態度になります。
稀に、学生のままの思考で一生を過ごす人がいますが、地元の有力者の家に生まれ育ち自分と違う考え方を見せてくれる人がいないとかそういう特殊な環境にいる人か、生まれつきそういう強い性格の星の下に生まれた人くらいだと思います。

 

過ちは犯さないと気付けない

で、何もこれ、学生を見ていて思うことだけではないんです。

例えば入社3年目くらいまでの自分。色々思い返してみると、あり得ないことばかりしています…
忙しいのを理由に不機嫌なのを隠さないとか。感情的になって言い返すとか。仕事の進みが遅い人に配慮なく遅れていることを言うとか…。
今なら、そんなことしていたら誰とも仕事ができないよ!!と肩を掴んで説得するところです。恥ずかしい…。

でも、つまりは、少し過去の自分ですら、たくさん間違っていたことに気付くということです。
ということは、きっと学生時代にお世話になった先生方も、この行いは良くないなと思っていた可能性あるし、親など世代が上の人たちも私の過去の振る舞いを見てそう考えていたかもしれない…?
というか、そう思っていたんでしょうね。今の私が過去の私にそう思っているように。
けれど、言ったところで聞かないことも知っていた、だから何も言わなかったんでしょう。過ちは犯してみないと気付けないものです。

 

いつも同じところを回っている

この「自分より若くて経験の浅い人間が自分が踏んだ間違いの地雷を今また踏んでいる」というループ現象、きっと人類が誕生してからずーーーっと繰り返されているんだろうなと思います。
人類は進歩しているように見えて、同じところを回り続けているだけなのかもしれません。

仏教には輪廻という考え方がありますが、前世の記憶がギリある人が辿り着いた思想ではなくて、人間のループ現象からヒントを得たのでは?と思ってしまいます。

でもこれだとほんの少し気が楽になります。無理して前進しようとしなくてもいいんですよね。
結局はぐるぐる回っているだけ。何度回ろうと同じところでつまづきます。だったらつまづくことも含めて、回ること自体楽しんだほうがいいですよね。

というわけではしゃぐ若者を見ても、私も通った道だと言い聞かせ、温かく見守ることにします。
…若者は未来があるという理由で社会からの手厚い保護を受けていていいなぁー。

コミュ障にはつらい場面

こんばんは、うたげです。
コミュ障もといコミュニケーションが超苦手の自覚がある私なので、日常生活で壁にぶつかることがかなり多いです。
最近あったことの整理をします。
「わかる!」と頷いてくれる人がいると、本当にうれしいです。。

 

少しショックだった出来事

先日、勤務先でちょっとしたイベントがありました。休憩スペースに行くと何かサンプルがもらえる、というようなもの。

そのイベントに行ってみて、宣伝に来ていた企業の方からサンプルをもらいました。嬉しかったです。仕事の休憩がてらデスクを離れ元気な雰囲気に触れるのは、無言で数字とにらめっこしている身にはとても癒しです。

問題はその後。そのイベントスペースに、私のすぐ後ろの席にいるはずの後輩が来たではないですか。それも、お昼休みに集まっているメンバーのうち2人と一緒に。
実は、お昼休みに集まってゲームをする会がありまして、そのメンバーに一応私も入っています。そのリーダー的存在の人(Aさんとします)と、その女性と仲良しの人(Bさん)、そして私と同じ部署の後輩、という3人組。

私は反射的に思いました。「すぐ後ろに座っていたしお昼の集まりにはいつも声をかけてくれる人たちなのに、どうして私はこのイベントでは声をかけてもらえなかったんだろう?」すぐあとに別の思いも浮かんできます。「たかだか会社の休憩スペースでやるイベントに連れ立って来るなんて、小学生女子か」と。

 

他にもある心揺さぶる出来事

前者の思考については、ちょっと悲しくなりました。私は個別で声をかけてもらえるほどには仲良しメンバーとして認められていないことのように感じたのです。

もちろん私がこう感じるに至った経緯はあります。他にもいくつかコミュニケーションに起因する出来事があったわけです。

そもそも私はこの春に勤務地が変わりました。人間関係がリセットされて、0どころか、すでに出来上がっていたコミュニティに入ることになるのでマイナスです。わかりますか、すでにみんな仲が良くて、盛り上がるネタとか会話の空気感とかの暗黙のルールが敷かれている、よそよそしい空気。数年来の蓄積のあるコミュニティなので立ち回りのうまい人でないと溶け込むのは相当厳しいです。私のような人付き合い苦手ちゃんには無理ゲー。お昼休みに集まるけれど思ったように話せない。輪に入れない。笑顔だけは絶やさないよう・粗相をしないように振る舞うしかない…。集まりに呼んでもらえるだけでもありがたいことだと言い聞かせてきました。
ですが、もともとの口数の少なさや話術のなさなども相まって、最近はあまり歓迎されていないように感じていたところです。先日は、Bさんとトイレで一緒になったのですが、先にいた私がメイク直しスペースを使っていたところ、まだスペースがあるにも関わらず、物理的に距離のある手洗い場のほうへ行きそちらの鏡を使ってメイク直しをするのを見ました。あからさまに避けられているように感じます。
また、Aさんから、土日に集まって遊ぶというのに誘われました。その際に、終日は都合がつかないので断りました。そして、同じ日の夜に別の人に誘われ、夜なら都合がつくのでOKをしました。すると数日後、Aさんが「私のほうのには来ないのにそっちには行くんだ」という趣旨のことを言っていたと人づてに聞いてしまい、悲しくなりました。

 

歪みを正せ!

と、ここまで書いてみて、自分の認知がずいぶん歪んでいるということに気づかされます。

「本当に」Bさんは私を避けたくて手洗い場の鏡を使ったのか?もしかして洗面台を使いつつメイク直しをしたかったのでは?
Aさんの発言も、私が不参加の理由をちゃんと言っていないから誤解されたのでは?私がきちんと伝えていれば納得してくれたのでは?

そして先日のイベントも、あれは私が行くことを知らなかったからでは?彼らが行こうと思ったときに私が席にいなかったから誘いたくても誘えなかったのでは?

声をかけられなかった!という事実に気づいたときは、ショックでつい感情的に見てしまいますが、冷静になれば違う可能性も見えてきます。
こんな勘違いかもしれないことで心を閉ざすのが一番未来を捨てていることだと思うので、腐らずこれからもできるだけ集まりに顔を出して、馴染んでいけるようがんばるしかないですね。

 

それでも歪んでいること

>「すぐ後ろにいたしお昼に集まろうといつも声をかけてくれる人たちなのに、どうして私はこのイベントでは声をかけてもらえなかったんだろう?」すぐあとに別の思いも浮かんできます。「たかだか会社の休憩スペースでやるイベントに連れ立って来るなんて、小学生女子か」と。

ここまでは前者の感情についてです。これは、認知の歪みで、被害者妄想が少し入っていそうなので、気を付けたいところです。

続いては後者。
40近くなっても友達と一緒じゃないと休み時間にトイレ行けない女子小学生みたいなことしてんの?という気持ち。

これも言ってしまえば私が歪んでるんですが…しかも認知が、じゃなくて性格が。ひねくれてます。
だってイベントごとなら仲間と参加したほうが楽しいもの。そりゃ私も仲のいい人がいれば一緒に行っていたでしょうよ。

でもでも、人と示し合わせないと、社内で行われる小さなイベントにすら行けないのか…と根っこのところでは思ってしまいます。
昔から、女の子の「一緒に行こ」が苦手でした…昔から友達少なかったし、人に合わせるのも苦手なので、自分で決めて行動できないというのが苦痛です。でも周りから浮きたくはないので、一人が「一緒に」と言い出すと、グループで行動する流れができてしまいます…みんな一人だったら楽なのにな、とすごく思っていました。人と一緒、浮かないから安心だけど、意見を合わせるの面倒くさいなぁ…

いくつになっても同じことをするものなんですね人間は…。

 

こんな締めくくりも後味がよろしくないので写真を。

先日展示を見に行った、学習院大学北別館の夜の様子です。美しい建物は夜の姿もいいですね。
朝晩が冷えるようになってきました。今晩はお風呂にしっかり浸かってから寝たいと思います。

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