和音と旋律

こんばんは、うたげです。
今日は、物語とか旋律とかについてのお話です。
人見知りで引っ込み思案で内気な私には物語は起こりませんが、皆さんは最近、物語が身近に起こりましたか?

 

個と全体

物語とはよく使われる単語ですが、「ストーリー」「お話」「顛末」「起承転結」あたりが近い意味や関連性の深い言葉でしょうね。
要するに、何が起こってどうなって…ということ。

ツイッターで時折見かける、「設定と物語を混同している」という趣旨の発言。
設定を事細かに決めるけれど、その設定を活かしたお話となると思いつかない…という人がいるみたいですね。
私はお話を書く人ではないので設定を決めるほうが楽しいとかはよくわからないのですが……どこかで聞いた話にも共通するなと思っています。

 

旋律は和音の結果である

学生時代にお世話になった先生がおっしゃっていた言葉です。
和音の進行があり、その和音の中の一つの音をつないでいったものが旋律だ、と。だから旋律の中の一音ではなくて和音の中の一音としてとらえなければいけない――そういった趣旨のことだったと思います。

合唱でも合奏でもいいのですが、複数人で何かを作り上げるとき、私たちはどうしても一人ひとりの旋律に集中しがちです。
仕方ないんです。自分ができることは自分のパートを全うすることだけだから。そうなると自分の音の集合である旋律のほうばっかりに意識が向きます。

でも、本当は、自分の旋律の中のどの音も、和音を構成しているはずなんです。ソロであっても、他の音が鳴っていないだけで、和音はたしかに存在していますからね。
だから全体の中で自分がどこにいるのかということを意識しないと、結果として素晴らしい音楽にはならないんですよね。個々の旋律が積み重なっても音楽とは言えない。和音を動かすんだ。和音が動いた結果が、旋律なんだ、と先生は力説されていました。

 

物語と設定

設定と物語も同じことかしら、と思うのです。
個々の設定を詰めたところで、全体の物語がなければ作品としては完成しません。
あるキャラクターの過去や現在などを設定しても、そのキャラクターがどう動いて何を起こして、それが他のキャラクターとどう関連してくるのか。そういう全体の動きにあたる部分がないと、どんなに魅力的な設定のキャラクターでも魅力的に受け取られないのではと思うんですよね。

大きな物語の筋があり、その展開のために必要なキャラクターが設定されるほうが、ストーリーとしてはスムーズに流れ、面白いように思います。
キャラクターデザインで売るやり方もあります。子どもが好きなのは見た目が好みのキャラクターだったりしますからね。キャラゲーという切り口もありますし。

何を重視するかは人それぞれの好みですが、あくまでお話の面白さなども含めた「作品」という切り口だと、やはり物語の比重のほうが高いかなと私は思います。先にキャラクターありきだと、どうしてもそのキャラクターだけ際立ってしまってバランスが悪かったり、話の展開に制約がかかるような気がするので…。……設定と物語、どちらも両立した作品を生み出す、神のような人もいますが…。

 

でもやっぱりバランスが大事

旋律は和音の結果」という言葉、なかなかに深いなと、時が経つほどに思います。
自分は一人しかいないので旋律の良さを追求してしまいがちですが、職場では和音の美しさを求められたり。友達グループの和音のために自分の旋律を意図していなかったほうへ広げたり。
結局はバランスなのでしょうね。和音も旋律も、どちらもおろそかにすることなく、バランス良く力を配分できるようになりたいです。

このブログを読んでくださっている方は大丈夫かと思いますが、以上はあくまで私個人の意見なので…私は漫画や小説などのお話を作る人でも、音楽作りに携わっている人間でもないので、外野が心に残った名言に絡めて何か騒いでいるなぁくらいにとらえて頂ければ幸いです。

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