対人態度のベースライン

こんばんは、うたげです。
今日は、生きていくうえで、どこでどの顔を見せるべきか?というお話。
私は事務方の仕事ですので営業系だとまた話が違うだろうなと思いますがあくまで私のケースのお話。
職場である人が自分にだけ態度が冷たいなどと感じ始めた…そんな方に読んでほしい内容です。

 

人によって態度が違う

突然ですが私の職場の同僚の話です。
Aさんは優秀で様々な仕事を高い品質でこなし、社内の部署間の調整役も買って出てくれているためたくさんの人から頼られる存在です。
できる人に仕事が集まるのが会社の常。Aさんは日々忙しく働き、たくさんの難しい仕事を抱え、そのうちに段々と同じチーム内の人への態度が横柄になってきました。
後輩に何か聞かれればあしらうように答え、忙しいさなかに上司に仕事を頼まれても不機嫌さを隠さない。私も気づけばAさんに話しかけてもこちらを向こうとせずぶっきらぼうな返事があるだけ、給湯室で会って会話してもニコリともしない、という状態になっていました。
ただし、Aさんが教育係としてついている新人にはきちんと優しく丁寧に接している様子は確認できました。
相手によって態度を変え、間違えてはいけない相手にはしかるべき対応を取っている点は安心しています。

でも、その新人に丁寧な態度を取っていることで、こちら側に募る不満というものもあります。

 

ベースラインより下を作るかどうか

新人に優しく、という態度は問題ないのです。何年も一緒に働いている人と同じ接し方ではまだ意思疎通がうまくいかないでしょう。
新人と同じ態度で接してくれとは思いません。
でも私はAさんの私に対する態度については不満があります。なぜかというと、Aさんが引いている対人態度のベースラインの、遥か下の位置付けの態度を取られているから。

今回問題だと感じたのは、この二点です。

  1. その人の対人態度のベースラインの上にいるのか下にいるのか
  2. そのベースラインの設定は職場で適切なのか

 

1つ目:対人態度のベースラインの上か下か

人によって態度は変えると思いますが、だいたいの人は場に応じて基本となるベースラインを持っていると思います。
街中で急に話しかけられたら冷たく、職場の人にはスマートに、パーティーで話す人には気さくに、など。
そこまで使い分けられなくても、こうしたい・こう見られたいという意識をある程度持って、みな行動していると思うのですよね。

では、職場ではどういう設定にするか。Aさんはどうしているか。
基本的には丁寧に応対すると思います。仕事なので当然ですね。
Aさんも他の部署の人たちには丁寧に応対しています。いわばこれがAさんの職場における対人態度のベースラインです。
そのベースラインより上にあるのが、Aさんの新人への態度。しっかり育ってほしいので丁寧に教えようという気概が見えて、それについては私も好ましく感じています。

問題なのは、そのベースラインより下に設定された人です。
今回のケースでは私やAさんの後輩ですね。
残念ながら日頃から一緒に仕事をしていると、ベースラインより下だ、というのがよくわかってしまうのです。
これが例えば、たまにやり取りする程度の他部署の人ならば、多少冷たい態度でもそういう人なんだなと納得できるのでしょうが…。または、誰に対しても無愛想なら、こういう人だからと納得できもしますが…。
明らかに他の人より軽んじられているというのがわかってしまうので私は不満を覚えたわけです。

親しき中にも礼儀あり、という言葉、まさにその通りです。
Aさんとは数年一緒に働いているため職場の中では親しい間柄です。親しい関係なら丁寧に応対しなくても多少の説明を省いても、意図をくみ取ってくれることもあるでしょう。
ですが、丁寧に応対しないということと、ぞんざいに扱うということは、イコールではありません

 

2つ目:職場でのベースライン

ベースラインより下に位置付けられた人間の意見を述べてきましたが、それを読むと、「じゃあベースラインを元から下のほうに設けておけばいいのでは?」と思いますよね。
でもそういう「ハードルを下げる戦法」もうまくいかないから難しい!

元から無愛想気味の人、という設定でいくと、そもそも人からあまり話しかけられなくなると思います。
話してみればいい人、と思ってくれる慣れ親しんだ人に囲まれていればそう問題ではないでしょうが、仕事仲間は入れ替わるのでその選択肢は賢くないですよね。

かといって上に設定してしまうと、ベースラインより下の人が多くなるので危険です。
下手をすると、いい顔をするくせに本性は嫌な奴だ、なんて受け取られかねません。

じゃあどこに設定すればいいの?という疑問。これは私もまだ答えが出ていません。というより、わかっているけど、実行がとにかく難しい。実践できていないのでこれが答えだ!と自信を持って言えない。けれど。

  • 自分が無理せず続けられるところにベースラインを設ける

これに尽きるのだろうと思います。わかって実行できれば苦労はしないですね。

Aさんの場合は、自分のキャパシティよりも上に設定してしまっているのだろうなと思います。
一度、その場でのベースラインが定まってしまうと、それを変えるのは相当大変です。無理だと思ったほうがいい。
続けなければいけないけれど本人は息切れしてきて…その帳尻を、親しい間柄で合わせることになってしまうんでしょう。

やはり早いうちから人間関係の場での自分のキャパシティは把握しておくに越したことはないですね。
それには色々な場での人付き合いを持つことが必要だと思います。
もしくは、傍若無人の言葉通り、我を通して通しまくって、周囲が合わせてくれるのを期待するかですが…。
後者はよほどの天才だとか魅力的な部分がないとできない戦法ですね…。

 

ベースラインより下に置かれたときの対処法

私がここであれこれ言っても、Aさんの態度は変わらないでしょう。
また、言ったところでいらぬ争いを起こすだけです。Aさんは態度を変えないでしょうし、変えたとしても、私がAさんの態度を不満に思っているという事実が伝わり、お互いにしこりが残るだけだと思います。

こういうときは、とにかく無視!受け流すしかありません。

ここで私がAさんへの態度を変え、ベースラインより下の態度で接したり、逆に妙に甲斐甲斐しく丁寧に接するというのは、Aさんと同じことをするということです。
同じ土俵に乗ったら負け。職場の人間関係での揉め事は本当に無益です。

 

みんな不器用だから、「我関せず」を貫くしかない

人間関係を円滑にするため耐える側に回っている人間がいることはもう少し評価されてもいいかなとは思います。
Aさんのような人ばかりだったら、優秀な人同士でも、人間の集合体として機能しなくなるでしょうね。

…と精一杯の負け惜しみを言ったところでここまで。
こういう人付き合いは本当に難しい。せめて大学や高校でこういう一般教養の授業があればいいのにな。いきなり実践の場に放り込まれて分析と対処を求められるのはハードルが高いです。

ちなみに私はやや無愛想めで通しています。戦略的にそうなったわけではなく元の性格でイヤイヤそうなってしまったのですが…。
これはこれでAさんとは別の種類の、致命的な不器用さですね。

………そう、みんなみんな、不器用なんです。特に高学歴なAさんのように、机にかじりついた青春を送った人ような人は。だって学校で習わないし。
同様にそういう人を相手する側も、不器用です。相手を許容なんてとてもできない。

だから、スルーするしかないのです。
他人の問題は、他人の問題
他人と自分をつなぐ線の上での問題は、片方の努力だけでは解決しません。
お互いが努力できるかというと、問題が起きて自覚した頃にはそんな関係でもないし…。
よほどの大問題でない限りはこの手のことは無視です。私は。

無視もうまくし続けられればいいのですが、自分の心に余裕がないとスルーできないときもあります。
他人の問題は他人の問題ですが、他人と接することでストレスを受けるのも事実。これは自分自身の問題なので自分で解決しましょう。

そういうときに大事なのが、没頭できるほど好きなことです。
休みの日に好きなことに触れてリフレッシュできれば、仕事のあれこれはどうにか耐えられる!と信じています。
いや、というより、信じたい。

みなさん趣味はありますか?忙しくて趣味の時間が取れない方も、これは好きだなというものの世界を自分の中で大切に温めていてほしいなと思います。
自分の中に自分が好きなものだけで作り上げた世界があるのとないのでは違うと思います。そこにいつでも行けるようたまには見に行ってほしいです。あんまり見に行っていないと、人の住んでいない家が荒れるように、記憶が薄れて何が何だかよくわからない世界になっていたりね。

Aさんも休みの日に趣味を楽しんで職場でのイライラを減らしてくれるといいなーと願っています。

 

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少しショックだった出来事

先日、勤務先でちょっとしたイベントがありました。休憩スペースに行くと何かサンプルがもらえる、というようなもの。

そのイベントに行ってみて、宣伝に来ていた企業の方からサンプルをもらいました。嬉しかったです。仕事の休憩がてらデスクを離れ元気な雰囲気に触れるのは、無言で数字とにらめっこしている身にはとても癒しです。

問題はその後。そのイベントスペースに、私のすぐ後ろの席にいるはずの後輩が来たではないですか。それも、お昼休みに集まっているメンバーのうち2人と一緒に。
実は、お昼休みに集まってゲームをする会がありまして、そのメンバーに一応私も入っています。そのリーダー的存在の人(Aさんとします)と、その女性と仲良しの人(Bさん)、そして私と同じ部署の後輩、という3人組。

私は反射的に思いました。「すぐ後ろに座っていたしお昼の集まりにはいつも声をかけてくれる人たちなのに、どうして私はこのイベントでは声をかけてもらえなかったんだろう?」すぐあとに別の思いも浮かんできます。「たかだか会社の休憩スペースでやるイベントに連れ立って来るなんて、小学生女子か」と。

 

他にもある心揺さぶる出来事

前者の思考については、ちょっと悲しくなりました。私は個別で声をかけてもらえるほどには仲良しメンバーとして認められていないことのように感じたのです。

もちろん私がこう感じるに至った経緯はあります。他にもいくつかコミュニケーションに起因する出来事があったわけです。

そもそも私はこの春に勤務地が変わりました。人間関係がリセットされて、0どころか、すでに出来上がっていたコミュニティに入ることになるのでマイナスです。わかりますか、すでにみんな仲が良くて、盛り上がるネタとか会話の空気感とかの暗黙のルールが敷かれている、よそよそしい空気。数年来の蓄積のあるコミュニティなので立ち回りのうまい人でないと溶け込むのは相当厳しいです。私のような人付き合い苦手ちゃんには無理ゲー。お昼休みに集まるけれど思ったように話せない。輪に入れない。笑顔だけは絶やさないよう・粗相をしないように振る舞うしかない…。集まりに呼んでもらえるだけでもありがたいことだと言い聞かせてきました。
ですが、もともとの口数の少なさや話術のなさなども相まって、最近はあまり歓迎されていないように感じていたところです。先日は、Bさんとトイレで一緒になったのですが、先にいた私がメイク直しスペースを使っていたところ、まだスペースがあるにも関わらず、物理的に距離のある手洗い場のほうへ行きそちらの鏡を使ってメイク直しをするのを見ました。あからさまに避けられているように感じます。
また、Aさんから、土日に集まって遊ぶというのに誘われました。その際に、終日は都合がつかないので断りました。そして、同じ日の夜に別の人に誘われ、夜なら都合がつくのでOKをしました。すると数日後、Aさんが「私のほうのには来ないのにそっちには行くんだ」という趣旨のことを言っていたと人づてに聞いてしまい、悲しくなりました。

 

歪みを正せ!

と、ここまで書いてみて、自分の認知がずいぶん歪んでいるということに気づかされます。

「本当に」Bさんは私を避けたくて手洗い場の鏡を使ったのか?もしかして洗面台を使いつつメイク直しをしたかったのでは?
Aさんの発言も、私が不参加の理由をちゃんと言っていないから誤解されたのでは?私がきちんと伝えていれば納得してくれたのでは?

そして先日のイベントも、あれは私が行くことを知らなかったからでは?彼らが行こうと思ったときに私が席にいなかったから誘いたくても誘えなかったのでは?

声をかけられなかった!という事実に気づいたときは、ショックでつい感情的に見てしまいますが、冷静になれば違う可能性も見えてきます。
こんな勘違いかもしれないことで心を閉ざすのが一番未来を捨てていることだと思うので、腐らずこれからもできるだけ集まりに顔を出して、馴染んでいけるようがんばるしかないですね。

 

それでも歪んでいること

>「すぐ後ろにいたしお昼に集まろうといつも声をかけてくれる人たちなのに、どうして私はこのイベントでは声をかけてもらえなかったんだろう?」すぐあとに別の思いも浮かんできます。「たかだか会社の休憩スペースでやるイベントに連れ立って来るなんて、小学生女子か」と。

ここまでは前者の感情についてです。これは、認知の歪みで、被害者妄想が少し入っていそうなので、気を付けたいところです。

続いては後者。
40近くなっても友達と一緒じゃないと休み時間にトイレ行けない女子小学生みたいなことしてんの?という気持ち。

これも言ってしまえば私が歪んでるんですが…しかも認知が、じゃなくて性格が。ひねくれてます。
だってイベントごとなら仲間と参加したほうが楽しいもの。そりゃ私も仲のいい人がいれば一緒に行っていたでしょうよ。

でもでも、人と示し合わせないと、社内で行われる小さなイベントにすら行けないのか…と根っこのところでは思ってしまいます。
昔から、女の子の「一緒に行こ」が苦手でした…昔から友達少なかったし、人に合わせるのも苦手なので、自分で決めて行動できないというのが苦痛です。でも周りから浮きたくはないので、一人が「一緒に」と言い出すと、グループで行動する流れができてしまいます…みんな一人だったら楽なのにな、とすごく思っていました。人と一緒、浮かないから安心だけど、意見を合わせるの面倒くさいなぁ…

いくつになっても同じことをするものなんですね人間は…。

 

こんな締めくくりも後味がよろしくないので写真を。

先日展示を見に行った、学習院大学北別館の夜の様子です。美しい建物は夜の姿もいいですね。
朝晩が冷えるようになってきました。今晩はお風呂にしっかり浸かってから寝たいと思います。

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