ムンク展

先日、ムンク展に行ってきました!

 

場所は上野

上野の東京都美術館で行われているムンク展。『叫び』が見たくて行ってまいりました。
上野駅にお昼ごろに着いて、鑑賞前に「みはし」であんみつを。

 

鑑賞前に

さて、腹ごしらえをしたら東京都美術館へ向かいます。行った日は平日の13時ごろだったのですが、チケット売り場には列ができていました!5分ほどで買えましたが、土日はどれほどの混雑なのか…。

 

オーディオガイドのすすめ

最近はオーディオガイドの貸し出しがあれば借りて回るようにしています。テキストの説明の展示もあるのですが、声優さんの情感こもった読みによって想像力が刺激される気がするんですよね。同時代に活躍した作曲家の曲なども聴けるので、一つの美術展をとっかかりにして色々な分野に興味が広がります。

ムンクと同時代に活躍したという北欧の作曲家、グリーグの音楽がたくさん用いられていました。「ペールギュントの『朝』」が有名ですね。オーディオガイドで流れていた曲で気に入ったものがいくつかあったので、グリーグもこれから少し聴いてみようと思います。

 

ムンクの叫び

肝心の展示は、会期が始まったばかりなので少し混んでいましたが、それでも一つ一つゆっくり見て回れました。あの『叫び』も、それと構図が同じ作品も見てきました。

『叫び』は、自然からの叫びのようなものを聞き耳を塞ぐ人物を描いたもの、だそうです。てっきり、描かれた人物が頬に手を当てて叫んでいるものと思っていましたが…実際には彼が叫びを聞いたのですね。しかも手を当てているのは頬ではなく耳だったんですね。

有名な絵画でも解説を読む機会がないことが多いので、専門の方が書かれたキャプションと、その作家の他の作品や人生を追うことで理解が深まりますね。ムンクは、『叫び』の原色のイメージから勝手に南欧のほうの人かと思っていたのですが、彼の他の作品では北欧らしい淡く白っぽい日光を感じさせる色合いが見受けられ、認識を改めました。

 

死を身近に感じていたから惹かれる

ムンクは、幼い頃に母親を亡くしています。成人前に姉も亡くしました。どちらも結核だったそうです。また、仕事で地元を離れている間にまだ若かっただろう父も亡くし、死を常に身近に感じていたのだと思います。
そういった境遇がそうさせたのか、他の人よりも感覚が鋭敏だったのだと思います。自然からの叫びもおそらく本当に聞こえたのでしょう。

死は、生まれた限り逃れようのない結果です。死なない人間はいません。ムンクの言葉を借りるなら、「黒いゆりかご」に生まれるのです。生まれた瞬間から死はつきまとう。
私はたまに人生の意義みたいなものを考えたりするのですが、何か結果を出すことが意義だというなら、死という絶対的な結果がある限り、突き詰めれば何をしようとも結果なんて意味がないんですよね。だから死は圧倒的な力で人間を押さえつけてくる。
でもムンクは死を感じながらも芸術作品を生み出し続けました。死は、彼から創作意欲を奪えなかった。死に取り囲まれながらも屈さなかったところ、それどころか死の呼び声すらも糧にしているように思えるところに、私は惹かれたのかなと思います。

 

芸術とは説明できないもの

説明とは、あるものを別のものに置き換える、いわば代替です。説明可能なものは代替可能と言えます。

ムンクが言うには、絵画は説明ができない。なぜなら他に替えうる手段がないから。魂の叫びだからこれしかないんだ、芸術は人の生き血なんだ、と。

これと近しいことを最近本で読みました。養老孟子の『遺言。』で書かれていたことです。
「同じ」にする働きを持つ人間社会において「違う」ことが重要、それが芸術。

代替がない、「同じ」と言うことができない。二人とも近いことを言っていると思います。
時代や場所や経歴があまりに違うにも関わらず、芸術についての考えが近いのはとても興味深いです。
とはいえ、これら二人の言葉は、芸術ではなく説明なので、二人とも「同じ」ことを言っていると言えてしまうんですけどね…

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