ゴールデンカムイ第310話感想
こんにちは、うたげです。
ゴールデンカムイ最新話の感想です。
ネタバレ含むうえに一ファン個人の想像・妄想・曲解だらけなので苦手な方は気を付けてください。
小難しい考察はしない・できないので、気楽に読んでくれたら嬉しい。
第310話 祝福
尾形は矢じりを腹から抉り出し、銃口をアシリパへ向けたが、そこに勇作が立ちはだかる。
毒の影響か尾形は錯乱しており、勇作の他、本音を指摘する自分や過去の自分などの幻覚も見ていた。
尾形は勇作とアシリパを重ねていた。アシリパが尾形の抱える罪悪感を自覚させたのだ。
尾形は母を殺し父の愛を試した結果、父の愛はなく「欠けた人間」として生まれたと思っていたが、実際はそうではなかった。愛情ある親の元に生まれてきた人間であり、罪悪感を覚えるのだ。
罪悪感に気付いた自分と、それを否定したい自分の葛藤の果て、尾形は現実で自分自身の左目に銃を向けた。
引き金を引く一瞬前、勇作の幻影が、あなたは祝福されて生まれた、とささやいた。
自らの目を撃ち抜いて崩れ落ちた尾形は、勇作に背後から抱えられどこまでも落ちていくかのようだった。
杉元にしがみついていたヒグマはアシリパの矢でとどめを刺された。
尾形が死んだことを受け止める暇もないうちに列車が激しく揺れ、杉元・アシリパ・白石の三人は機関室に誰もおらず列車が暴走していることに気付く。
そして機関室に近付く鶴見中尉にも気付き、アシリパは鶴見中尉に向け矢を向けた。
あなたは祝福された子
尾形ァァ…!!祝福されてよかったね…!!
尾形少年は母を殺したということとそれでも父が自分に関心がないということを受け止めきれなかったのでしょう。
罪悪感と後悔に蓋をしようとして、自分は「欠けた人間」なのだと思い込んだのだと思います。
父と母に愛情がなかったから欠けてしまったのだと。
そして勇作さんとの出会いもこの「欠けた人間」という考えが結末を捻じ曲げてしまったのでしょう。
勇作さんに慕われるたびに尾形はこう思ったと思われます。
両親の愛を受けて祝福された存在が自分をここまで愛してくれるとは何事だ。
自分は「欠けた人間」なのだから祝福された人間に愛されるいわれはない。
この愛を受け入れては自分は「欠けた人間」ではないと認めることになってしまう。
それでは罪悪感と向き合わなくてはならない――。
つまり尾形はずっと罪悪感を抱えていながらもそれを認めることができず、
罪悪感を覚えないはずの「欠けた人間」になろうとしていたのですね。
けれど尾形は欠けてなんかいなかった。
両親の愛あふれる時間が尾形の産まれる前だけだったこと。
祝福され産まれてきたことを伝えようと勇作さんは兄さま兄さまと慕っていたのに
尾形は受け入れなかった、いえ、受け入れられなかったんですね。
受け入れてしまうと罪悪感と向き合わないといけないから。
もちろん祝福された存在の代表格のような勇作さんに対する嫉妬も多少なりともあったと思いますが
やはり太陽の光がまぶしくて暖かくて己のした暗く後ろめたい所業を思い出さずにはいられない…
という論理のほうが優位ではないかなと思います。
尾形は寂しさから罪悪感と後悔でいっぱいになることをしでかし
それに蓋をするため「自分は欠けた人間」と思い込み更に罪悪感を塗り重ねてきました。
ずっと「欠けた人間はこうするのだ、こう思うものだ」と自分の心を道理で曲げてきたのですね。
彼が道理にこだわる理由も腑に落ちました。
鶴見中尉に対してはあなたが俺を見ないからだ、というようなことを言って
父親にかまってもらいたくていたずらをする子どものような姿を見せましたが、
尾形の葛藤シーンで出てくるのは両親や弟のことが中心でした。
やはりより深く思っていたことが出てきたのでしょう。
鶴見中尉に向けて本心を言ったかに思いましたが、
あれもまた尾形の現在の行動を「欠けた人間」としてふさわしいものにする正当化だったのでしょうね。
道理だけではどうにもならないものもある、と尾形が認めて自分の感情に目を向けていれば
アシリパさんと出会うことでもっと違った道もあり得たのかな…と考えずにはいられません。
長かった尾形の旅路もようやく帰るべきところへたどり着いたのですね。
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