正当進化したデジモン:デジモン映画ラスエボ感想

こんにちは、うたげです。
今日はせっかく映画を久々に映画館で見たので、感想を書いてみよう。
作品はブログタイトルの通り、デジモン。正式には『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』。通称、ラスエボ
かつてのテレビアニメリアルタイム世代の目にはどう映ったかな?

デジモンシリーズ全て追っているわけじゃない人間が思ったことを書き散らしているだけなので、熱心なファンの方の肌には合わない部分が多いと思う。
何か嫌なものを感じたら読むのをやめるのをおすすめします。要するに「私のデジモン観」なので。

 

デジモンって?

このブログを訪ねてくれる人は同年代が多いのでは、というネットを通した偏った見方を私も持っているので、おそらくこのコンテンツについてはあまり解説の必要がないんじゃないかなと思う。
一応、デジモンとは何ぞや、ということについて軽く触れておくけれど、実は私もそう詳しくないので、まぁこのくらいの思い入れでも見れる作品なんだな、と思ってもらえれば幸い。
”映画館まで交通費と時間をかけて出向いてちょっと豪勢な昼食一回分くらいのお金を払って二時間程拘束される遊び”に対してハードルが少しでも下がればな、という願いもある。

さて、私の記憶では、デジモンはポケモンの少しあとに発売されたゲームだ。
ポケモンは言わずもがな。モンスターを収集して・育てて・戦わせる、という、虫取り遊びに通じる普遍的な要素で少年少女の心をガッチリ掴み、今でも拡張を続けている、もはやそれ自体モンスターとも呼べる、超巨大コンテンツだ。

そうしてポケモンが大流行する中、少し似た要素のゲームが発売された。それがデジモンだ。
モンスターを育てて戦わせるのも、モンスターが進化するのも同じだ。ポケモンにすっかりはまっていた当時小学生の私はデジモンのゲームは買わなかった。小学生ゆえに買えるゲームは限られていたし、ゲームボーイとかメジャーなハードでは出なかった覚えがある……思えばこの頃からゲームハード争いにしっかり巻き込まれていたんだな。
だからデジモンのゲームの細部は正直よく知らないのだけれど、ポケモンがその世界を旅するアドベンチャー感があったのに対し、デジモンはそういうのがあまりなかったように思う。画面を通してモンスターのお世話をして戦わせて、という感じだったような記憶がある。当時、現実世界の草むらからピカチュウが飛び出して来ないかな~と好きな世界が現実へやって来ることを夢見ていた小学生には、そのデジモンのこざっぱりとした、距離感のある世界観はかなりドライに映ったんだと思う。

デジモンのゲームに対する思い入れはこんなものだけれど、ある日大変なことが起こった。デジモンのテレビアニメが始まったのだ。その頃の小学生の情報源なんてコロコロコミックか同級生との会話くらいしかなかったので、コロコロの宣伝に乗せられて、当然初回から見る。で、結果、すっかりデジモンにハマる。
当然あれから二十年くらい経った2020年に続編映画が公開されるくらいなので、テレビアニメシリーズの出来はかなり良かったんだと思う。小学生も夢中で見ていたし、今も名作として挙げる人もいるくらいだから、間違いない。

デジモンアニメといえば劇場版第一弾を思い出す人が多いと思うけど、私はテレビアニメシリーズが好きだった。
もう初回からポケモンとは様子がまるで違うんだよね。ポケモンとの対比ばっかりでポケモンにもデジモンにも申し訳ないし、これさっきも言ったけど、ポケモンはその世界に生きる一人として私たちはその世界観の中に入っていくの。アニメ主人公のサトシだってポケモン世界の中で生まれて生活している。
それに対してデジモンは、デジタルワールドって異世界でのお話なんだよね。選ばれし子どもとしてデジタルワールドへやってきた太一たちは、元いた世界とは違う世界に最初すごく戸惑う。そこで初めて会った仲間と一緒に旅をしないといけないし、何でも知っていて守ってくれる大人もいないし、デジモンなんていう生き物とも協力しないといけないし。
ポケモンのひたすらに明るくて懐の広い世界観に比べて、デジモンはほろ苦い始まり方。遥か昔からいわゆる異世界ものってあると思うけど、今思えばその王道だったんだよね。かつては漂流して流れ着いた島での冒険、今や異世界転生、デジモンはデジタルワールドへ呼び寄せられる形。たまたまその場に居合わせただけという人たちとぶつかったり手を取り合ったりして困難に立ち向かう、というお話の流れとしては異世界転生ものは少し外れている気がするけれど、とにかくデジモンは王道中の王道の設定だったんだ。

で、始まりがほろ苦ければ、当然終わりもほろ苦い。太一たちは元いた世界へ帰らなくちゃいけない。でもデジタルワールドで数々の経験をして、デジタルワールドの住人と芽生えた友情もある。その友情はお互いの胸にしまっておいて、別々の世界で生きないといけない。涙ながらに別れを惜しむ太一たちとデジモンたち。
最終回の持つ意味はたぶん当時の私にはうまく咀嚼できなかったと思うけど、それでも記憶にあの場面が残っているので、何か心に響くものがあったんだろうな。列車に乗って現実世界へ戻るとき、ミミちゃんのウェスタンハットが風で巻き上げられるシーンがあったような気がする。……完全に私の妄想で、思い出を捏造していたらどうしよう。。

 

大人になったかつての主人公

細部は覚えていないけど、最終回のシーンはなんとなく覚えているし、せっかくだから見てみるか。
そんな軽い気持ちで見に行ったラスエボ
何の予備知識も入れずに行ったのでびっくりの連続だった。

まずデジタルワールドと現実世界が気軽に行ったり来たりできるようになってて、これは一番びっくりした。
だってこれができるならテレビアニメシリーズ最終回のあの涙は何だったんだ?って話じゃん!でもそこは受け入れる。だって私ももう大人だし、一生会えないよりご都合主義と言われようと会いたい人と会いたいときに会えるほうがいい。
あとやっぱりデジモンシリーズにそこまでお熱だったわけじゃないので、私が覚えていない知らないだけで、実はもともと健在だった設定とかもあるんだろうな。今回の映画で登場するまで、太一たち無印シリーズの、次のシリーズがあったことも忘れてたし。

物語には始まりが必要なわけで、この映画の起承転結でいう「起」は、太一とヤマトが困難に直面することだ。熱血で単純な太一と、クールなヤマト。性格は少年のときからあまり変わっていなさそう。この正反対がゆえに良いコンビだった二人が、まさかホルモン屋でビールを飲むなんて。正直かなりびっくりした。
だって私の記憶の中では、二人はヒーローだったわけ。アグモンとガブモンは主人公補正でかなり強い進化をして、それでデジタルワールドでの危機を何度もくぐり抜けて…。その二人が、小さな七輪を挟んで、一杯380円であろう生中をあおっている。このシーンだけで想像力豊かでデジモンにかなりの思い出補正がかかっている私には十分すぎる情報量。
それなのに太一ときたら、おそらく大学四年生の夏だというのに就活をまっっったくしていない。それどころか卒論も手をつけてすらいない。お前はいつぞやの私か!と記憶のかなり奥底にしまいたい部分を抉られて、急に想定外の深いダメージを受けてうまく息ができないでいるところにトドメのヤマト。ヤマトのほうは大学院に進学する予定だけど、それもモラトリアム延長のためといったところ。典型的なダメ大学生になったかつてのデジタルワールドの英雄二人。つらい。つらすぎる。これ、大人なら誰が見てもそれなりにダメージ受けるんじゃないだろうか…。見る側の共感を得るには十分すぎて余りある設定には容赦がなくて、びっくり。

でも他のメンバーはわりとうまく人生を送っている。私はここがミソと思う。
太一とヤマトは人生にかなりつまづいてる。たぶんこのうまくいかない現実にぶつかるっていうのが、大人になり始めるってことなんだろうな、と解釈してる。
ミミちゃんたちみたいに自分の夢を叶えて突き進んでいる人は、現実との摩擦が少ない。でも太一とヤマトは、自分が何をしたいのかもよくわからず、だから現実との摩擦がものすごく大きい。何をすべきかなんてわからないのに時間は無情に選択を迫る。そこでこの二人は大人の世界へ片足を突っ込んでしまうんだろう。だからパートナー関係解消のタイムリミットも、仲間たちのうちで二人だけに訪れたんだと私は思っている。

持論じゃないけど、少年時代に活躍をした人は他の分野でもひとかどの成功を収めるものと思ってたのだけど、選ばれし子どもはそうじゃないのね。デジタルワールドでの冒険でしか輝けないならなんとも残酷な選定だな…。神童も二十歳過ぎれば……ってやつみたい。デジタルワールドでの活躍が特に目覚ましかった二人が一番人生につまづくなんて、リアルすぎませんか制作陣さん。

 

真っ直ぐなストーリー

ここまで太一とヤマトがどういう青年に成長していてそれがいかに見る者のハートに大打撃を与えるかを書いてきたけども、ストーリー自体はとっても王道。今時珍しすぎて逆に新鮮さを覚えるくらいにど真ん中ストレート。
あんまり書いちゃうとこれから見る人の感動を削いじゃうかもしれないので詳細は触れないけど、変に狙って捻りまくって意味がわかりにくい、ということもないので、安心して見られる作品。

太一とヤマトのための物語と言っても過言でなく、清々しいくらいに他のメンバーは見せ場がないけれど、おかげでメッセージはかなりシンプルに投げ込まれてくる。

ぶっちゃけ現実なんて本当に思うようにいかない。少年時代の冒険が輝いていればいるだけ、目の前にある”将来”ってものがくすんで見える、というよりまったく見えない。見えないから不安で仕方ない。進みたくない、輝く思い出にひたっていたい。それでも、生きている限り前に進んでいかなきゃいけないんだ。

そんな恥ずかしくなるくらいに青臭い太一たちのメッセージ、涙腺が年々緩くなるアラサーには本当にいけない。こんなこと伝えられて泣かないわけがなかろう!!
映画が終わって明るくなるとき、急いでマスクをつけてその流れで目元の涙を拭って、できるだけ下を向きながら映画館を出たけど、周りからもすすり泣く声が聞こえたのでみんなみんな太一たちのメッセージを受け取ったんだろうな。

ちなみに私が見ていないだけで他のメンバーについての物語も色々あるみたい。動画配信とか。このあたり映画一本で完結しないのは、今のプロモーション手法としては常とうなのだろうけど、全部見る!!って意気込みがないといけないのは少し負担だよね。
でも私みたいに関連作品をあまり知らなくても十分に楽しめる映画なのは間違いない。現に映画だけでボロ泣きして、色々記憶が蘇って、こうして今ブログ書いてる人間がいるわけだし。

 

思い出をきれいにまとめて

デジモン映画の復活に、ネットでは賛否両論あったのを知ってるからか、より強くこう思う。

好きだったコンテンツを正当進化させてくれてありがとう、と。

しつこいけどもデジモンとポケモンは、似ているようでいて、実はまったく違う。デジモンはあくまでデジタルワールドという別世界での話で、現実世界の主人公たちはしっかり年を取っているし、世代交代もする。サトシはずっと子どもたちの代理冒険者だけど、太一たちは今やアラサーになった私たちと同じで、大人になってしまったのだ。
だからこそ、子ども向けのコンテンツなのかそれとも懐古主義の大人に向けたものなのかがハッキリせず、賛否両論を巻き起こしてしまったんだろうなぁ、と思うけど…。

大人向けにはこの映画でしっかり太一たちの物語を一旦締めてあげて、子ども向けにはまた新しいテレビアニメを始めればいいじゃない。
かつて選ばれし子どもだった者たちに向けた、区切りの作品になったと思う。一区切りつけられる正当進化だったと私は思う。ちゃんと終わらせてくれたから、しっかり前に進みたいものだ。

 

 

 

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