ゴールデンカムイ第206話感想
こんばんは、うたげです。
ゴールデンカムイ最新話の感想です。
ネタバレを含みますので未読の方・コミックス派の方は気をつけてくださいね。
また、以下は私の所感です。
一ファン個人の勝手な見解を多分に含んでいますので、そういうものとしてお読み頂ければ幸いです。
第205話 ふたりの距離
今回はアシリパさんの胸の内と、杉元のアシリパさんに対する想いが聞けた、まさに副題ぴったりな回でした。
アイヌの昔話の活動写真撮影が終わり、上映会へ。鯉登少尉のおかげで芝居小屋を貸し切って贅沢な上映です。
杉元たちの映像を楽しく眺める一行ですが、アシリパさんの表情は厳しめ。また、谷垣・チカパシの演じたお話を見る楽しそうなエノノカに対し、チカパシはどこか浮かない表情です。その様子を見つめる谷垣もまた何か胸に抱えているような顔。
昔話のお芝居が終わると、撮影技師ジュレールがアシリパさんに見てほしいという活動写真の上映を始めます。内容は、なんとアシリパさんのコタンの十年以上前の映像。青い色の目をしたアイヌのウイルクが健在です。そして何よりもその隣にいる女性。ジュレール曰く、この女性がアシリパさんにそっくりだからこの映像を見てもらいたいのだと。その女性は映像の中で朗らかに笑い、弓を持ち、食事をおいしそうに食べ、時折変顔をする、明るくて晴れの日みたいな女性です。誰もハッキリと言いませんが、明らかにこの女性はアシリパさんのお母さんです。まだ生まれたてのアシリパさんも映っています。
活動写真には若かりし日のキロランケも映っていました。キロランケが映ったあたりで、シネマトグラフが発火し上映していたフィルムは焼けてしまいます。
母の顔を芝居小屋で上映したシネマトグラフで初めて見たアシリパさんに杉元が声をかけます。アシリパさんは母への恋しさを覚えるのではなく、シネマトグラフでは大事なものは残せないと歯がゆそうな様子です。
映像で見た母よりも、ウイルクが語ってくれた母の思い出のほうが心に深く残っている。つまり、自分たちで守っていかなければ文化は残らないのだと、アシリパさんはハッキリと言います。樺太の旅はそれを知るためのものだったと気付いたのです。そして、これから先、戦わなければならないのかとアシリパさんは誰にでもなく問いかけます。
その言葉に対し、杉元は、戦うのはアシリパさんでなくてもいい、と答えます。金塊争奪戦が起こる前の猟をする生活に戻れと言うのか、キロランケが命をかけて教えてくれたのに無関係の振りはできない、とアシリパさんの温度が上がっていきます。杉元はアシリパさん自身ではなくアシリパさんを通して昔の自分を見ていて、アシリパさんを救うことで自分を救いたいだけではないのか、とアシリパさんは杉元に詰め寄りますが、対する杉元は静かにでも力強く返します。
杉元は、ウイルクたちがアシリパさんにしてきたことが許せないのです。山での戦闘を仕込んだウイルク、樺太へ連れていき戦いを選ぶしかなくなるよう誘導したキロランケ。杉元の中で彼らと鯉登少尉の父親が重なります。戦う者ならばその子をまず前線に出させるべきという考え方ですが、それらは親が勝手に子どもに望むこと。ではその子自身、アシリパさん自身はどうしたいのか?人を殺したら落ちるという地獄をどうとらえているのか?杉元の問いかけはアシリパさんの心を揺らしているように見えます。
そして杉元はアシリパさんに自分の願いを伝えます。人殺しをしてもう戻れなくなる前に、金塊争奪戦から下りてほしいと。
杉元の純粋な願い
今回、今まで描写で仄めかす程度だったことや断片的にしか語られなかったことが、ハッキリ登場人物の口からかなりの濃度で語られており、伏線回収のターンに入って来たなと感じています。杉元がアシリパさんに対し願うことは、本人の意思の尊重よりも自分のかつての姿を重ねていることのほうが比重が大きそうだとか。杉元は干し柿を食べていた頃の自分が一番自分らしいと思っていて実は戻りたいのに戻れなくて苦しんだとか。そういうこともわかりやすくまとめられましたね。
樺太の旅を通し、北海道では知れないたくさんの民族のことを知ることができました。やはりこの旅でアシリパさんは自らが置かれた境遇を改めて知り、他民族の状況を見て危機感を覚えているのです。
しかし杉元の言う通り、それはある意味キロランケにとって都合のいいものしか見せられていない状態とも言えます。少数民族ばかり見せられたら、ロシアや和人など国のマジョリティに対する対抗心のようなものは生まれやすいですよね。
アシリパさんは、金塊争奪戦に主体的に関わって、つまりは戦って金塊を勝ち取り北海道アイヌをはじめ少数民族のために武装蜂起する道を選ぶしかないのか、というようなことを言っています。言い切りではないのでまだ迷っているようです。
そこに杉元から、それをアシリパさんがしなくてもいいということを言われて、焦燥感から杉元に対し抱いていた違和感のようなものをぶつけたのでしょうね。お前は私自身を見ているようで見ていないのではないか?お前がしたいのは自分のためのことなのではないか?と。
私はずっと、杉元は自分のこうであってほしいという願いをアシリパさんへぶつけようとしている=静かに暴走している、のだと思っていましたが、今週号を見るにそうとも言えなさそうですね。
この時代の価値観では杉元のほうが稀有なのかもしれませんが、まだ幼い人に対して、人殺しをしてほしくない、と願うのは至極真っ当だと思います。戦え!殺せ!という願いは、もう願いを通り越して命令、軍隊みたいですよね。鯉登少尉のような軍人の家ならばそれでいいと思いますが、昔ながらの暮らしを営むアイヌの家に生まれた子に、人殺しをさせようというのは、あまりにも重たいものを子どもに背負わせているなと思うわけです。
私は今回、ゴールデンカムイはやっぱり父と子の物語だと思いました。
アシリパさんの平安な人生を願う杉元は、ある意味ウイルク以上に父親らしいです。
ウイルクもキロランケも、自分の家庭だけではなく民族全体を背負っていました。ゆえにウイルクの子であるアシリパさんは、ウイルクの娘であることに加え、民族にとっても重要な存在になってきます。当然ながら民族のリーダー的存在のウイルクはやはり自分の子には自分の意思を引き継いでほしいので、戦いを仕込みます。キロランケもアシリパさんを次代を率いる重要な存在として扱いました。
それに対し杉元は、アシリパさんにとっては血の繋がりはありませんし、過ごしてきた文化も違います。しかしそれゆえに彼にとってアシリパさんは、血縁や民族といった重たい鎖で繋がれた関係ではなく、狩りや旅での実体験を通じて得た信頼関係にある仲間なのです。もちろん、その実体験には、山での狩猟生活の中での生き生きした時間や、ユクの腹の中での干し柿を食べていた頃の自分にアシリパさんが触れたことも含みます。
杉元は「アイヌのアシリパさん」ではなくて「アシリパさん」をずっと見てきたのだろうな、純粋にアシリパさんのことを想えるのは彼だけなのだろうな、と思うのです。
アシリパさんを戦いから下ろし金塊争奪戦を終えたら、杉元は救われるのでしょうか。
アシリパさんとまた山で狩りをしてほしいなと切に思います。例え死後地獄行きの特等席だとしても、現世で一人の少女を地獄から遠ざけたのだから、せめて余生は…と思ってしまうのですよね。杉元には帰る故郷もないのですし…。できればみんな幸せになってほしいなと思いますがもう何人か死なないと終わらない物語だろうなという予感もあるので、悩ましいところです。しんどい展開が続きそうなので寂しいけど本編が完結した暁には明るい番外編をやってもらいたいですね!
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