ゴールデンカムイ第188話感想
こんにちは、うたげです。
野田サトル先生の「ゴールデンカムイ」、最新188話の感想です。
コミックス派・アニメ派の方にとってはネタバレの内容含みますし、展開も明記していることがあり未読の方にもネタバレ要素があるかもしれないので、お気を付けくださいね。
第188話 生きる
まさかそう来るか~!という展開でした。杉元の声に驚いてアシリパさんが思わず弓を引く手を放してしまい、矢じりに毒のついたままの矢が尾形の右目に刺さる…。
その瞬間のアシリパさんの表情、作中でもこれまで見たことないほど、悲痛なものでした。父の死を聞いたときの慟哭も凄まじかったですが、こちらは驚きや後悔が混じった表情。「傷つけるつもりはなかったのに矢を放ってしまった」といったところでしょうか。
先週の描写で、矢じりに毒がしっかりついているところをあえて描写した野田先生。そこにカメラを寄せることで、アシリパさんが毒を除く意志があったかも?ということを描こうとしていたのかなと思っています。あの緊迫した場面でわざわざ小刀で削り取ることはできないだろうから、ただの深読みでしょうが…コミックスで加筆されていたら嬉しいところですね。なにせ、アシリパさんにとっては、父殺しでとんでもない嘘つきの尾形でも、旅をした仲間なのですから。
そして今週一番問題のところ。目を負傷し倒れながらも、不敵な笑みを見せる尾形!
まるで先週自分が言っていた、清い人間などいていいはずがない、という言葉を実践できほくそ笑んでいるかのようです。
ただ、驚いて射てしまった、というのは尾形もわかっているような気がするので、アシリパさんが人殺しをするまでの経緯よりも、人殺しになったあとのことに対して笑っていたのかなと思います。誰かを殺すきっかけは何でもよくて、殺したという事実と、その後、罪悪感から逃れるためにどうするのか、逃れるとどうなるのか、という、ある意味「未来」について興味があるのでしょう。本来、この言葉が持っている意味はもっと明るいはずですが、尾形は清くなくなったあとどう生きていくかのほうに興味を持っていそうです。とすると、尾形の言う「清い人間はいていいはずがない、というのは、清い人間は死ぬべきだ、ということではなくて、人間の本性は清くないからその清い仮面を外せ、という色のほうが強そうですね。勇作さんみたいに仮面を外させることができないままこの世を去った人もいましたが。
「お前もこっち側に来たか」「これから地獄が待っているぞ」「そのときに俺と同じ論理を用いない自信はあるか?」――倒れ行く尾形は、そんなふうに言っているように見えます。
そしてそこに登場する杉元!尾形は当然、この展開の中で杉元に殺されると思っていたので、尾形の目の毒を吸い出したのは意外でした。それもそのはず、ここで尾形が死んだら、アシリパさんが殺したのとほぼ同じ意味になってしまう。アシリパさんに人殺しをさせまいと尾形を一旦助けたわけですね。
ここで杉元が、アシリパさんを尾形の「死」には一切関わらせない、ということを言っています。かなり突き飛ばした冷たい言い方ですよね。尾形は、母に始まり、人の関心や視線を惹きたい節が時折見え隠れします。惹きつける手段が、殺しであることが多いので、結果的に殺すというのが愛情表現、のようになってしまっていますが……つまり、尾形にとって、殺すということは気にかける・見てあげることと同義なのではないかなと。けれど杉元は、それをアシリパさんにはさせないとハッキリ言いました。死ぬとしてもそこには誰も関わらせない、というのは、誰もお前を見ていない愛していない、という意味にも受け取れます。孤独に死んで行ってくれというけん制は、尾形のやり方が、少なくともほしいものを手に入れるには間違ったやり方だった、ということを表しているようで、そのことに気付かないようにしていた尾形の意図的な鈍感さと、別の方法を試すこともできない不器用さに、涙が出てきます。
ところで、尾形には未来はもうほぼないですよね。少なくとも本人がそれまで誇っていた狙撃は、おそらくもうできない。さて、ではどうするのか?ズルズル生き永らえるのか?
私は二つほど展開があると思います。一つ目は、狙撃ができなくても、それを理由に死なれてはアシリパさんが間接的に殺したような格好になってしまうので、杉元によって(少なくとも旅の終わりまでは確実に)生かされる。その後はお互い関知しないところでしょうが、個人的にはどうにか日本に戻り、精密射撃部隊を作ってほしいです。
そして二つ目は、杉元が問い詰めて洗いざらい吐かせたあと、肉弾戦に持ち込み、結果的に殺す。問い詰めるのは、尾形の死の理由を、アシリパさんではなくこれまで数々の裏切りをしてきた危険人物だという別の理由をつけるためですね。肉弾戦なのは、毒の具合にもよりますが、狙撃ができなくても関係のないリングにすることで、これまたアシリパさんが殺したという因果関係を作らないため。
尾形は今以外の生き方はできないのではないかなと思います。不器用だし。なので本人は死にたがるかもしれませんが、そこで効いてくるのが今回のサブタイトル「生きる」。尾形はこの先、アシリパさんを人殺しにしたくない杉元によって、生かされていくという意味なのでは?と勘ぐっています。杉元のセリフの中で「死」というようにわざわざ括弧つきで「死」が書かれているのも憎い演出です。
最後、杉元とアシリパさんがようやく再会できたところは、感動的でした。ハリウッド映画でよく見る、娘が父に抱きつくシーンをほうふつとさせます。
そんな感動的なシーンなのですが、おそらく尾形のものでしょう、銃が海に落下しているのも描かれています。尾形は狙撃手もとい軍人としては死んだも同然、ということを暗示しているのですかね。
この見開きのコマでは他にも細かい描写があり、眺めていて飽きません。杉元の背負っている装備、当時のものはみなそうなっているのかもしれませんが、飯ごうが見えます。飯ごうといえば、杉元アシリパさん白石の食事シーン。杉元にも再会できたし、アシリパさんには心の底からヒンナって言ってご飯を楽しんでほしいです。オソマおいしいってまたアシリパさんに言ってほしいな。
今週はもう一つ見開きページがありますが、こちらは何も言いますまい。あえて言うとすれば、変顔にとどまらず、聖〇プレイ描写もありな12歳のヒロインってキャラクター詰め込み過ぎでは?ということに留めておきます。
ある意味、前向き
さて今週の尾形を見ていて思ったのですが、この作品、自殺が出てきませんよね。少なくとも私の覚えている範囲では。人を殺して自分も死ぬといった、人情もののような展開にはお目にかかっていません。
そういう、ある意味みんな前向きなところが、この作品の好きなところの一つです。殺したから死んで終わりにしよう、ではなくて、人殺ししをした自分のままでその罪も背負って進んでいくところが前向きだなと思います。
果たして自分の前に何があるのか、そもそも道があるのかわからないけど、とにかく進んでいく、力強い暗中模索具合が見ていてすがすがしいのだろうなと思いました。
気付かせてくれてありがとう尾形。生きたいように生きるか、死にたいように死ねるといいね。
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