快適な生活のバランス

こんばんは、うたげです。
人間、生きているだけでこんなにお金がかかるなんて、小学生の頃は思っていませんでした。
生きていくのにどのくらいお金がかかるのか?義務教育で教えてほしかったですね。
少なくとも高校ではお金についての知識をもっと仕入れるべきだと思います。

 

息するのにもお金がかかるなんて

みなさん、息してますか?してますよね。
息してなければこのブログを読むことはないと思います。

じゃあ、今日、息をするのに、いくら使いました?
私はスーパーで買い物したので2,500円くらい使いました。

人間、生きているだけでお金がかかります。
代謝などで常にエネルギーを消費しているので、食事をしないと体を維持できません。
食事をするには食べ物が必要なわけですが、タダではないですよね。山の中で自給自足の方を除いて、町で暮らしていれば食べ物や飲み物を買ったりお店で食事をするにはお金がかかります。(自給自足でも時間や体力を使うという点ではタダではありませんよね)

つまりはいつも通りに呼吸ができている、という状態そのものにお金がかかるわけです。息をするにもお金がかかっているんです。

 

高い呼吸代

さて、私は、高級住宅地と言われる場所に住んでいます。
といってもそのステータスを誇りに思っていたりマウントを取りたいわけではなく、地理的な事情で仕方なく住んでいます。
正直、私たち一家の収入レベルには釣り合わない住宅地です。狭い賃貸がやっとです。たぶんちょっといい一人暮らし程度の広さしかありませんし、間取りも変な感じです。

高級住宅地は、土地や賃料が高いだけではありません。そのエリアのスーパーも高級なんです。

おかげで近場で買い物を済まそうと思うと食費がかさみます…。お肉もついグラムの少ない安いほうを選びがちです。お野菜は見切り品コーナーから見たり。
そういうケチなことをしたくなるくらいに高いんですよね…。
プチトマトバーなんていらないから普通のトマトをもう少し安く売ってほしい…と行く度いつも思います。

息するのすら高いなんて高級住宅地は世知辛い場所です。
吸えども酸素が少ない感覚です。

 

少しでも多く息するために

今の家に住み始めて半年が経ちました。生活のサイクルや周辺事情などもだいぶわかってきました。
そしてついに、見つけたんです。

お安いスーパーを!

これまで家から10分圏内で買い物していたのですが、15分まで広げると安いところがあったんです。某「大丈夫」ストアです。

帰りは荷物が重くて大変ですが、それで安くたくさん食べられるなら背に腹は代えられません。財布を握りしめてスニーカーをはいて買い物に行きます。

酸素をたっぷり吸い込める気分です。

 

息継ぎのサイクル

さて、平日は仕事をしているので、帰宅後夕食を作ります。家族が家の近くで働いているので、晩ご飯のため一度帰宅させて一緒に食事します。

夕食後は仕事に戻る家族を送り、そこから2日に一度はお安いスーパーへ買い物に行きます。
色々試しましたが2日に一度がちょうどよさそうです。毎日は行くこと自体がしんどいです。2日に一度なら、2日分買えばいいので荷物もあまり重くなりすぎないし、買いすぎて腐らせることもないし。余裕があるときは冷凍食品を買い足したりします。

買い物後は、処理する食材があれば処理をし、洗い物や洗濯物をして、あとは自由時間です。

この息継ぎサイクルが決まってからは家の中もそうひどくは散らからず、心にゆとりができた気がします。
仕事が忙しい時期や飲み会が多い時期などはさすがにこのサイクルは回せないのですが…できる限りは続けていきたいなと思います。

 

気を付けないと過呼吸に…

お安いスーパーが見つかり小躍り気味で喜んだ私ですが、気を付けないといけないこともあります。

安いがゆえに調子に乗って買い物してしまうこと。

安いからと野菜や肉をたくさん買っても、食べるか下味などつけて冷凍しておくなどしないと、腐ってしまってもったいない。お菓子も、たくさんあると一度に食べすぎてしまう。冷凍食品は一体いつ食べるのやら。

節度を持って買い物する!と自分に言い聞かせながら買い物をしています。
それでも、見て回るのが楽しくて、時間をかけて店内を回っていると、ついカゴが重くなってしまうんですけどね…。

写真は本文とまったく関係ありませんが、今日のはあまり興味を引かなさそうな話題という自覚はあるので、せめてものお詫びに猫ちゃんです。

コミュ障にはつらい場面

こんばんは、うたげです。
コミュ障もといコミュニケーションが超苦手の自覚がある私なので、日常生活で壁にぶつかることがかなり多いです。
最近あったことの整理をします。
「わかる!」と頷いてくれる人がいると、本当にうれしいです。。

 

少しショックだった出来事

先日、勤務先でちょっとしたイベントがありました。休憩スペースに行くと何かサンプルがもらえる、というようなもの。

そのイベントに行ってみて、宣伝に来ていた企業の方からサンプルをもらいました。嬉しかったです。仕事の休憩がてらデスクを離れ元気な雰囲気に触れるのは、無言で数字とにらめっこしている身にはとても癒しです。

問題はその後。そのイベントスペースに、私のすぐ後ろの席にいるはずの後輩が来たではないですか。それも、お昼休みに集まっているメンバーのうち2人と一緒に。
実は、お昼休みに集まってゲームをする会がありまして、そのメンバーに一応私も入っています。そのリーダー的存在の人(Aさんとします)と、その女性と仲良しの人(Bさん)、そして私と同じ部署の後輩、という3人組。

私は反射的に思いました。「すぐ後ろに座っていたしお昼の集まりにはいつも声をかけてくれる人たちなのに、どうして私はこのイベントでは声をかけてもらえなかったんだろう?」すぐあとに別の思いも浮かんできます。「たかだか会社の休憩スペースでやるイベントに連れ立って来るなんて、小学生女子か」と。

 

他にもある心揺さぶる出来事

前者の思考については、ちょっと悲しくなりました。私は個別で声をかけてもらえるほどには仲良しメンバーとして認められていないことのように感じたのです。

もちろん私がこう感じるに至った経緯はあります。他にもいくつかコミュニケーションに起因する出来事があったわけです。

そもそも私はこの春に勤務地が変わりました。人間関係がリセットされて、0どころか、すでに出来上がっていたコミュニティに入ることになるのでマイナスです。わかりますか、すでにみんな仲が良くて、盛り上がるネタとか会話の空気感とかの暗黙のルールが敷かれている、よそよそしい空気。数年来の蓄積のあるコミュニティなので立ち回りのうまい人でないと溶け込むのは相当厳しいです。私のような人付き合い苦手ちゃんには無理ゲー。お昼休みに集まるけれど思ったように話せない。輪に入れない。笑顔だけは絶やさないよう・粗相をしないように振る舞うしかない…。集まりに呼んでもらえるだけでもありがたいことだと言い聞かせてきました。
ですが、もともとの口数の少なさや話術のなさなども相まって、最近はあまり歓迎されていないように感じていたところです。先日は、Bさんとトイレで一緒になったのですが、先にいた私がメイク直しスペースを使っていたところ、まだスペースがあるにも関わらず、物理的に距離のある手洗い場のほうへ行きそちらの鏡を使ってメイク直しをするのを見ました。あからさまに避けられているように感じます。
また、Aさんから、土日に集まって遊ぶというのに誘われました。その際に、終日は都合がつかないので断りました。そして、同じ日の夜に別の人に誘われ、夜なら都合がつくのでOKをしました。すると数日後、Aさんが「私のほうのには来ないのにそっちには行くんだ」という趣旨のことを言っていたと人づてに聞いてしまい、悲しくなりました。

 

歪みを正せ!

と、ここまで書いてみて、自分の認知がずいぶん歪んでいるということに気づかされます。

「本当に」Bさんは私を避けたくて手洗い場の鏡を使ったのか?もしかして洗面台を使いつつメイク直しをしたかったのでは?
Aさんの発言も、私が不参加の理由をちゃんと言っていないから誤解されたのでは?私がきちんと伝えていれば納得してくれたのでは?

そして先日のイベントも、あれは私が行くことを知らなかったからでは?彼らが行こうと思ったときに私が席にいなかったから誘いたくても誘えなかったのでは?

声をかけられなかった!という事実に気づいたときは、ショックでつい感情的に見てしまいますが、冷静になれば違う可能性も見えてきます。
こんな勘違いかもしれないことで心を閉ざすのが一番未来を捨てていることだと思うので、腐らずこれからもできるだけ集まりに顔を出して、馴染んでいけるようがんばるしかないですね。

 

それでも歪んでいること

>「すぐ後ろにいたしお昼に集まろうといつも声をかけてくれる人たちなのに、どうして私はこのイベントでは声をかけてもらえなかったんだろう?」すぐあとに別の思いも浮かんできます。「たかだか会社の休憩スペースでやるイベントに連れ立って来るなんて、小学生女子か」と。

ここまでは前者の感情についてです。これは、認知の歪みで、被害者妄想が少し入っていそうなので、気を付けたいところです。

続いては後者。
40近くなっても友達と一緒じゃないと休み時間にトイレ行けない女子小学生みたいなことしてんの?という気持ち。

これも言ってしまえば私が歪んでるんですが…しかも認知が、じゃなくて性格が。ひねくれてます。
だってイベントごとなら仲間と参加したほうが楽しいもの。そりゃ私も仲のいい人がいれば一緒に行っていたでしょうよ。

でもでも、人と示し合わせないと、社内で行われる小さなイベントにすら行けないのか…と根っこのところでは思ってしまいます。
昔から、女の子の「一緒に行こ」が苦手でした…昔から友達少なかったし、人に合わせるのも苦手なので、自分で決めて行動できないというのが苦痛です。でも周りから浮きたくはないので、一人が「一緒に」と言い出すと、グループで行動する流れができてしまいます…みんな一人だったら楽なのにな、とすごく思っていました。人と一緒、浮かないから安心だけど、意見を合わせるの面倒くさいなぁ…

いくつになっても同じことをするものなんですね人間は…。

 

こんな締めくくりも後味がよろしくないので写真を。

先日展示を見に行った、学習院大学北別館の夜の様子です。美しい建物は夜の姿もいいですね。
朝晩が冷えるようになってきました。今晩はお風呂にしっかり浸かってから寝たいと思います。

「学び舎の乃木希典」の記録

こんばんは、うたげです。
語呂が良くて好きな言葉は「頑張る一辺倒」です。

 

「学び舎の乃木希典」展

現在、学習院大学史料館で開かれている平成30年度秋季特別展「学び舎の乃木希典」をご存知でしょうか。

開催場所が場所ですし(大学構内)、規模も小ぶりで内容もかなりピンポイントのため、在校生かお知らせハガキを受け取った卒業生が知っているくらいでしょうか。
かくいう私は所用で近くに行った際にチラシを見かけ、大好きな漫画「ゴールデンカムイ」の影響で帝国陸軍関連には興味があるので、足を運んだわけです。

 

展示会に行くには

展示会は学習院大学で開かれています。名前を耳にしたことのある人も多いと思います。付属の幼稚園や中高には皇室関連の方が通われていることでも有名ですね。
ロケーション自体はJR山手線の目白駅からすぐです。駅を出て右手の一番近い門が便利ですが、今回お目当ての大学史料館には正門のほうが近いです。正門は明治41(1908)年竣工の風情あるつくりなので見学がてら通りました。

史料館は正門を通り抜けて正面にあります。手前に北別館があり、その向こうが展示室のある北2号館です。北別館も明治42(1909)年竣工の歴史を感じる建物。著名な建築家、久留正道設計の国登録有形文化財だそうです。北別館を写真に収めたり池の鯉を眺めたりしながら展示室へ。(北別館は事務室のようなので立ち入りはできないor自由ではないと思います。)

明治期の建物ということで、「ゴールデンカムイ」作中の建物に似た雰囲気なような気がします。これは否が応でもテンションが上がりますね…

 

展示の中で印象に残ったこと

展示内容については、すごく満足でした。無料でいいのかと思うくらい。解説がすごく丁寧で、じっくり見て回ったら一時間かかりました。小さなギャラリーくらいのサイズの一部屋だけの展示なのですが、内容はとても濃いです。
軍人、特に殉死の人のイメージでしたが、かなり熱心な教育者でもあったようです。全寮制が敷かれた際には学生と一緒に寝起きをしていたみたいですね。それも会議室の一室に家具を少し入れただけの質素な部屋で。国の将来を支える若者たちと過ごす時間は自分も青春を謳歌しているようでたいそう輝いていただろうなと思います。

具体的な展示品の感想としては、天皇から下賜された品は見るからに高級そうでした。もちろん菊の御紋が入っているのですがそれがなくても絶対に高いと思えるような代物ばかり。
一番印象に残ったのは夏季遊泳で撮影された写真です。ふんどし姿の乃木希典が頭の手ぬぐいを直しながら歯を見せて笑っているもの。こんな楽しそうに笑う大将だったのかと少し身近に感じました。
あとは、今と変わらないなと思ったのが、ポストカード!英国王戴冠式に親王が名代として参列する、その随行員として乃木希典と東郷平八郎も渡欧したのですが、その記念の絵葉書が発行されています。親王・王妃のポストカードはもちろん、東郷提督(Admiral TOGO)と乃木大将(General NOGI)の二人のものまで。記念のこういうものが明治から作られていたんですね。それも有名人の顔写真入りで。


展示室ではアンケートに答えるとポストカードがもらえます。写っているのは実際の展示品。右下の軍靴、とても長い…私の太もも上部までありそうでした…

 

展示室以外にもゆかりのものが

展示室で見られるもの以外にも乃木希典関連のものが構内にたくさんあります。

まず、展示室の入り口横には、大きな骨格標本が!こちらは実際に学習院大学構内で飼われていた馬、「乃木号」の骨格標本。ガラスケースの中にいるのですが間近で見られるので大きさに圧倒されます…撮影不可なので写真はないです。

北別館以外にも歴史を感じる建物がいくつかあります。緑も多いので見終わったあとの散歩が気持ちよかったです。

 

ちょっと気を付けたいこと

比較的オープンな大学ですが、明らかに部外者とわかる場合は門の守衛さんに声をかけられるかもしれません。ベビーカーを押した人が「どこに行かれますか」と聞かれていました。その人は「レストランまで」と答えていました。構内にレストランがあり、そこは大学関係者以外でも利用可能なようですが、さすがに赤子連れは明らかに関係者ではないですもんね、そりゃ声はかけますよね…。
また、展示室の入り口では、記名を求められます。名前だけなので渋らず書きましょう。
場所柄、やんごとない方々がいる可能性のある場所なので、不審者を極力入れたくないのだと思います。けれど学びの場としてオープンでなければいけない場所でもあるので、守衛さんや展示室入り口でこういった対策がされているんでしょうね。

 

頑張る一辺倒の始まり

明治時代の学習院での教育は、乃木希典を雷様に例えた風刺画があったくらいに、なかなかに厳格なものだったように思いました。学生は軍に入るべしとの考えから、剣道と柔道を必須科目にしたり。軍隊での訓練を取り入れたんですね。

明治天皇崩御の後に殉死ともとれる自刃をした人の展示だったので、まさしく明治期に思いを馳せた格好です。そのあとで構内で運動部の練習に励む学生さんを見て、平和な時代でよかったなぁ…と思いました。

ゴールデンカムイ第179話感想

毎週木曜日のお楽しみ、ヤングジャンプの発売日。
ゴールデンカムイ目当てに買いだして半年、そろそろ週次で感想を書きます。
私の頭の中の整理メモも兼ねてるので読みづらいですがお付き合いください。

 

三脚の人物たち

唐突ですが、三脚をご存知でしょうか。カメラを取り付けたりするアレです。書いて字のごとく、三本の脚で支える構造のアイテムです。

先週には「維新の三傑」の話で、今週も引き続きいわば「ゴールデンカムイ版 維新の三傑in露西亜」の話。この三人の過去回はこれが最後でしょう。
知的で穏やかで何でもそつなくこなす(イメージの)ウイルクと、伸びしろの大きい(イメージの)キロランケと、天真爛漫さとカリスマ性を持ち合わせた(イメージの)ソフィア。すいません全部イメージです、先週号がどっか行きました。

コミックスをぱらぱら読み返していて気付いたんですが、この作品では三人組というのが基本単位としてよく出てくると思います。例えば、杉元・アシリパさん・白石。土方さん・永倉のおじいちゃん・牛山。谷垣とインカラマッとチカパシ。鶴見中尉と月島軍曹と鯉登少尉。
ウイルクとキロランケとソフィア。杉元と梅ちゃんと寅次。

冒頭で脈絡なく三脚の話を出しましたが、三点で支えるというのは非常に安定する構造だそうな。山の中でのカメラマンの撮影なんかを思い浮かべてほしいんですが、デコボコした岩の上なんかでもしっかり立つのは三点で支えているからなんですって。
つまり三つそろっているというのはとてもバランスの取れた調和的な状態です。それが一点でも欠けるとどうか。当然、バランスが崩れて倒れてしまいます。

ゴールデンカムイの登場人物にも同じことが言えるかなと思っています。三人がそろっている間は大きな展開はないけれど、一人が欠けたり離れたりするとドラマが動き出す。
かつての杉元たちも、梅ちゃんを残して男二人が戦場に行ってしまって、そこからゴールデンカムイの冒頭へつながっていきますよね。杉元とアシリパさん白石が引き離された網走監獄は言うまでもなく作品の最大のターニングポイントだし。第七師団の三人は、網走監獄で三人そろった状態で穏やかとはいえないことを引き起こしたとはいえ、鶴見中尉と月島軍曹・鯉登少尉が別行動になってからが彼らの物語の進展だと思います。
野田先生は意識して三人組を平和的な空気で包んでいるような気がします。もともと三だったものが一と二に別れる、あるいは二や一に減ると、調和が壊れて、転がるようにして前に進んでいく勢いや推進力のようなものが生まれる感覚を私は覚えました。今週は、ソフィアが露西亜に残ると言い、三人ではなくなってしまいましたし…

二階堂は一人が片足を失っているので、二人で三本足=三脚ですね。だから何だって話ですけど…すでにバランス崩れてますし…

 

親の気持ち

今週はそんなことよりもとんでもない情報が明らかになったのですが、彼についての考察は他の方がたくさん書いてくださると思うので、ちょっと気になったことを。

この作品では親と子については嫌というほど描かれていますが、これまでは子の側からの視点が圧倒的に多かったように思います。尾形、江渡貝くん、月島軍曹。親から与えられた愛情を糧に生き、子を持ったら今度は自分が愛情を注ぐ、これが理想的な循環ですが、その循環から外れてしまった彼ら。今よりもずっと不自由の多かった時代だと思いますが、それでも彼らは親に恵まれた明るい子ども時代を送ったわけではありません。

そして彼らと関わってきたのが鶴見中尉でした。それはなぜかと考えたときに、親子関係は深い傷にもなり得るので懐柔するのにそれを利用するのが手っ取り早いとか、やはり前頭葉が吹っ飛んだ関係で頭のネジが外れ常任には理解できないようなことを企んでいるんだろうなと思っていたのですが、今週号で少し考えを改めました…。

少し不思議に思ってはいました。必要な人材を手元に置くためとはいえ、江渡貝くんに対しては「巣が歪んでいる」、尾形には勇作さんと育ちが違う旨のことを言う、月島軍曹の父親も演出に利用する。
部下たちを先導する人が、先の目的のためではなくて、原因側に固執するのはどうしてだろう?と。

でも、今週号で、鶴見中尉にも家族を失った過去があって、しかもその原因が間接的とはいえ自分にある(自分が持ち込んだ武器、自分の使命)ことが明らかになりました。そうなると、こう考えているのかもしれないなと私には思えるんです。
子どもには何の罪もない。もし子が間違ってしまうのならそれは親のせいだ―。

実際には、懐柔するのにそれが一番いい手段だから利用しているところもあるとは思います。江渡貝くんみたいに明らかに家族で苦しんでいる人がいるなら、家族とケリをつけるのが最も効果的ですもんね。
でも、狂人のように面白がっていたり、何の感情も持たずにそれをしているわけではないかもしれない。そういう可能性だけで、鶴見中尉の魅力がまた一段と深まる…どこまで魅力的になるんだこの人は。
今週号の話を踏まえると、稲妻お銀の子のシーンは涙なしでは読めない…。
また、アシリパさんのコタンは谷垣の滞在場所として知られていたし、お銀の子を預けていたので村の状況なんかも調べられていたと思います。はじめ読んだときは、フチが危ないのでは?という心配もしましたが、その心配はなさそうですね。アシリパさんはのっぺら坊の娘とはいえ、歪まず真っ直ぐに育っています。フチやコタンといった巣がそう育てたと思うので、真っ直ぐな子を育てる巣をどうこうする必要はないですし利用すると逆効果ですもんね。
先の展開はまったく読めないですが、鶴見中尉の目的が達成されるとは思えないので、月島軍曹や鯉登少尉などいわば彼の子のような者たちに穏やかに見送られる最期だといいな、と思います。
もしかしたら鶴見中尉のことだから自分が死ぬところまで作戦に入れていたりしそうだなぁという予感を胸の片隅に置きつつ、次回を待ちます!次週は休載かぁ。

ムンク展

先日、ムンク展に行ってきました!

 

場所は上野

上野の東京都美術館で行われているムンク展。『叫び』が見たくて行ってまいりました。
上野駅にお昼ごろに着いて、鑑賞前に「みはし」であんみつを。

 

鑑賞前に

さて、腹ごしらえをしたら東京都美術館へ向かいます。行った日は平日の13時ごろだったのですが、チケット売り場には列ができていました!5分ほどで買えましたが、土日はどれほどの混雑なのか…。

 

オーディオガイドのすすめ

最近はオーディオガイドの貸し出しがあれば借りて回るようにしています。テキストの説明の展示もあるのですが、声優さんの情感こもった読みによって想像力が刺激される気がするんですよね。同時代に活躍した作曲家の曲なども聴けるので、一つの美術展をとっかかりにして色々な分野に興味が広がります。

ムンクと同時代に活躍したという北欧の作曲家、グリーグの音楽がたくさん用いられていました。「ペールギュントの『朝』」が有名ですね。オーディオガイドで流れていた曲で気に入ったものがいくつかあったので、グリーグもこれから少し聴いてみようと思います。

 

ムンクの叫び

肝心の展示は、会期が始まったばかりなので少し混んでいましたが、それでも一つ一つゆっくり見て回れました。あの『叫び』も、それと構図が同じ作品も見てきました。

『叫び』は、自然からの叫びのようなものを聞き耳を塞ぐ人物を描いたもの、だそうです。てっきり、描かれた人物が頬に手を当てて叫んでいるものと思っていましたが…実際には彼が叫びを聞いたのですね。しかも手を当てているのは頬ではなく耳だったんですね。

有名な絵画でも解説を読む機会がないことが多いので、専門の方が書かれたキャプションと、その作家の他の作品や人生を追うことで理解が深まりますね。ムンクは、『叫び』の原色のイメージから勝手に南欧のほうの人かと思っていたのですが、彼の他の作品では北欧らしい淡く白っぽい日光を感じさせる色合いが見受けられ、認識を改めました。

 

死を身近に感じていたから惹かれる

ムンクは、幼い頃に母親を亡くしています。成人前に姉も亡くしました。どちらも結核だったそうです。また、仕事で地元を離れている間にまだ若かっただろう父も亡くし、死を常に身近に感じていたのだと思います。
そういった境遇がそうさせたのか、他の人よりも感覚が鋭敏だったのだと思います。自然からの叫びもおそらく本当に聞こえたのでしょう。

死は、生まれた限り逃れようのない結果です。死なない人間はいません。ムンクの言葉を借りるなら、「黒いゆりかご」に生まれるのです。生まれた瞬間から死はつきまとう。
私はたまに人生の意義みたいなものを考えたりするのですが、何か結果を出すことが意義だというなら、死という絶対的な結果がある限り、突き詰めれば何をしようとも結果なんて意味がないんですよね。だから死は圧倒的な力で人間を押さえつけてくる。
でもムンクは死を感じながらも芸術作品を生み出し続けました。死は、彼から創作意欲を奪えなかった。死に取り囲まれながらも屈さなかったところ、それどころか死の呼び声すらも糧にしているように思えるところに、私は惹かれたのかなと思います。

 

芸術とは説明できないもの

説明とは、あるものを別のものに置き換える、いわば代替です。説明可能なものは代替可能と言えます。

ムンクが言うには、絵画は説明ができない。なぜなら他に替えうる手段がないから。魂の叫びだからこれしかないんだ、芸術は人の生き血なんだ、と。

これと近しいことを最近本で読みました。養老孟子の『遺言。』で書かれていたことです。
「同じ」にする働きを持つ人間社会において「違う」ことが重要、それが芸術。

代替がない、「同じ」と言うことができない。二人とも近いことを言っていると思います。
時代や場所や経歴があまりに違うにも関わらず、芸術についての考えが近いのはとても興味深いです。
とはいえ、これら二人の言葉は、芸術ではなく説明なので、二人とも「同じ」ことを言っていると言えてしまうんですけどね…

子宮頸がん検診を受けてきた

タイトル通り受けてきた。
予約が9時からで、移動に15分かかる病院で受診するのに、起きたのが8時半…。食事の有無や脈拍が影響する検査じゃなくてよかった。

検査自体はそこまで時間かからず、特に苦痛もなく。
追加料金で超音波検査もできるということなのでそれも追加。これは機械を中の色々なところに当てるので少し異物感があったかな。

 

結果を聞いた

どうやら筋腫があるらしい。子宮と、内膜。良性のコブのようなものでがんなどではないらしいけど、生理を重くしたりするらしい。

ショックというほど感傷的でもないけど、ちょっと衝撃。
健康だと思っていたし、生理もまぁ軽くはないし痛むときもあるけど、薬に頼らないといけないようなほどではなかったし。
人生プランはまったくわからないけど、もしかしたら選択肢を狭めてしまう可能性があるのかも…?と少し思ったら、案外ショックを受けている自分がいて、なんだか笑っちゃった。他人の面倒見るの無理だよなぁとか思ってたのにね。

 

かかりつけ医を持とう

まだ何も起こっていないし、先生も悪性ではないから大丈夫と言っていたので、教えてもらった対応をしようと思う。
かかりつけ医を持つこと。近所で通いやすい産婦人科を探す。半年に一度くらいの頻度で子宮がん検診を受ける。若いと筋腫が大きく育つ可能性もあるのでこまめに見たほうがいいって。ちなみに今あるのは最大で2センチほどのもの。小さいのも含めて3つほどあるって言ってたな。詳しい結果は3週間後に郵送なのでわからないけど。

 

感情に流されない

出来事に一喜一憂していては私の小さな心臓はもたない!!
事実は事実として受け止めて対応をきちんとして、落ち込んだり喜んだりは別なところでやろう。

それにしてもオプションで超音波検査やってよかったな…お金渋ってやらなかったら、ひょっとしたら発見が遅くなっていたかもしれない。
というか、普通の細胞採取して見るだけの検査でも見つかるようなものなら、自治体のクーポンでしか受けてないから前回が2年前で、2年でここまで大きくなったってこと?ひええ…検査って大事だな健康に関することはできるだけお金渋ってはいけないな…予防が一番…治療はお金がかかる…

大腸検査覚書③

検査のことを書くのに3日も費やしている…。
そこまでする価値があるのか疑うのは生まれた意義を問うのと同じくらい、有意義なようでいて無意味なので、さくっといきましょう。

 

いざ当日

当日は家でお水だけ飲んでクリニックへ!私は朝一で行きましたが他のところはどうなんでしょうね?昼とかだとご飯を食べたくなってしまうので朝集合がいいと思うのですが。

朝にクリニックに行きますが、すぐに検査するわけではありません。まずは下剤をたっぷり飲んで、ひたすら腸内のものを対外排出します。昨日書き忘れましたが、前日の夜には下剤も飲みます(効き目はマイルドです)。

ここからは本当にクリニック次第ですが、私がお世話になったところは、一人一つ個室とトイレが割り当てられていました。個室なので検査着への着替えもすべてこの中でできました。
個室内には施錠できるロッカーと、リクライニングシートとテレビあり。ロッカーというのが意外と大事で、トイレに行くことが多いので、荷物の心配をしたくないんですよね。また、テレビもありがたいです。私は大好きなEテレをゆっくり見ながら下剤を飲み続けましたから。
専用トイレもありがたいですね!いつでも行けるし、他の人が使っていないので家のトイレみたいに安心できます…私は公衆トイレの衛生状態が気になってしまうのでこういうところはありがたかったです。

 

下剤を2時間

下剤は、私は「モビプレップ」という透明な液体のものをたっぷり1リットルは渡されました。これを15分にコップ1杯のペースを目安に飲んでください、と。脱水になってはいけないのでお水もたくさん渡されます。リクライニングシートに座り、テレビを見たり持参した本を読んだりしながら、下剤との格闘が始まります。

下剤は、まずいです!おいしいわけがありません。少し酸味のあるうす甘い感じの味です。
下剤を飲むとかなりの頻度でトイレに行きたくなります。
お腹が痛くなるということはほとんどないのですが、とにかくすぐに出そうなくらいの便意を覚えるので、常にトイレに行ける状態にしておいたほうがいいですね。イヤホンとかひざ掛けとかは意外と邪魔に感じる場面がありました。

トイレに行くと、初めのうちは、見慣れた色のゆるーい液状に近い便が出ます。消化の悪いもの、例えばひじきなんかを2日前に食べていたりすると、ここでひじきが混じります。
下剤を飲み続けていくと、どんどん便が透明に近くなります。いわゆる「モロモロ」したものが少なくなってきます。透明になると看護師さんを呼んで状態をチェックしてもらうのですが、自己判断で呼ぶのは尚早と言えましょう。かなーり透明でないと次のステップには行けないのです。看護師さんを呼んでは薄黄色い液体を見せ、「まだですね」と言われる羞恥プレイを何度か繰り返しましたから。

完全に透明な液体しか自分から出ないようになったら看護師さんにチェックしてもらい、OKをもらったら自分の個室で待機。呼ばれたら検査室へ!

 

さあ検査!

ベッドに横になったら検査の開始です!
さあ一体どんな体験が待っているのか…!?

……などと体験記が書けるはずありません。
なぜなら、麻酔。麻酔(先生は「少しウトウトするお薬」と表現していました)を使われるので、眠っている間に検査はすべて終了してしまいました。
「ウトウトするお薬入れますよー」という先生の声を聞いたのを最後に、気付いたときにはベッドに寝せられていたので、薬の注入と同時に眠りについていたみたいです。あまりに寝るのが早かったので先生には「最近お疲れでした?」と心配されました。

検査が終わったらスタッフさんが回復用のベッドに運んでくださったようで、そこで自然と目が覚めるのを待ちます。目が覚めたら先生に検査結果を聞きます。
私は初めての検査のときに、ポリープ切除の手術も一緒に行ってもらいました。事前の同意書にそういった取り決めがあったのですね。

というわけで気持ちよく寝ている間にすべてが終わるので、検査そのものはまったく苦じゃありません!

 

大腸検査まとめ

私は、前日のおかゆでお腹が空くことと下剤のまずさが気になるくらいで、ゆったり静かな私専用個室でリラックスできるしお昼寝もできる、ゆったりした時間を持てる!というくらいの感覚でいます。健康になるためのことなので気持ちも前向きだし。
もしお腹関連で少し不安に思うことがあるなら思い切って検査を受けてみるのをおすすめします。お仕事で忙しい合間に、下剤を飲みながらゆったり本を読む時間があるのもいいじゃないですか。私はおいしいお昼ご飯を食べるのを楽しみに検査を受けましたよ。

ちなみに費用は2万円ほどだったかな…あまりはっきり覚えていなくて申し訳ないのですが。切除手術も一緒にした際は5万円ほどかかったと思います。加入していた保険の何かで5千円ほどもらえましたが、安くはないので、一度検査して特に心配事がなければ次回は2年後、くらいのスパンですね。

大腸検査覚書②

前回の続きです。
検査の日が決まってからです。

 

検査前日までは特になし

検査の前日になるまでは私は特に何もしませんでした。
ここであがいても何か変わるわけではないし、普段の生活でどうなっているかを見てもらいたいですからね。

脱線しますが、健康診断前に短期間の禁酒をする方いるじゃないですか。ああして出た結果はどこまで今後の自分の健康に役立つんでしょうね?普段通りで行って、いかに悪いかを実感して行動を変えたほうがいいのにな~というおじさんが職場にたくさんいます。余計なお世話ですが。

そうそう、検査の3日くらい前から、繊維質なものは少しずつ避けたほうがいいかなと思います。検査2日前にひじきを食べたのですが、大腸の中にひじきが少し残っているのが腸内の撮影画像に写っており、少し恥ずかしかったです。笑

 

前日は検査食

さて、検査の前日になると、腸をすっからかんにするための準備を始めます。具体的には食事を消化のよいものだけにします。
私の場合は、検査食キットをクリニックで購入し、前日はそのキットの食事だけで過ごしました。
ただ、検査を受けた方の話を聞くに、キットを置いているところばかりではなさそうなので、キットがない場合は自前でおかゆなどを用意するんでしょうね。

検査食キットは基本的におかゆだと思ってください。朝昼晩の各1食ずつとおやつ2回分が入っています。朝は粘度高めのスープだった気がしますが、昼夜はおかゆです。おかゆだけだと腹持ちが悪いしカロリーも不足するので、ゼリーや水に溶かして飲むタイプの少しとろみのついた粉ジュースといったおやつ的なものもついています。
一日食べるものが決まっているのでとても楽でした。レトルトパウチに入っているので容器に開けて温めるだけ。普段は食事を自分で用意しているので、栄養やカロリーなどに気を付けて何を食べるか決めないといけないのですが、それを考えなくていいし調理もしなくていいって、すごく楽です。なので検査は私にとってはリラックスできる行動なんですよね。

また、当然ですが、検査食キット以外のものは前日に食べてはいけません。おかゆならすぐ消化されるのでいいような気もしますが、少なくとも消化されにくいものはダメです。お肉や野菜はもちろん、わかめやひじきなどの海藻類なんて最悪です。一日消化のいいものを食べていると歯応えが恋しくなりますが、検査終了までの我慢です。
水分についてはお水やお茶はOKと聞きました。飴の類もいいそうです。ジュースは、特に何も言われませんでしたが、そこをOKにすると線引きが曖昧になるのでわかりやすくお水とお茶だけ、という区分けにしているのでしょうね。このあたりは先生によって基準が違いそうです。

ちなみに塩分は控えめな感じでした、検査食キット。なので満足感は低いです。ストレス発散にはおいしいものが一番!というタイプの方は、仕事が忙しくないときに行けるよう検査日程を調整されたほうがいいかと…。

 

まだ続きます

長くなってしまったので今回はここまで。
明日は当日のことを書いていきます。

大腸検査覚書①

今度、子宮がん検診を受けます。
自治体が成人女性に2年に1度送ってくれるものですね。

検査といえば、大腸検査をすでに2回しているので、そのときのことを書きます。
肉体的苦痛を伴う思い出ゆえに詳細に覚えているので、長くなりそうな予感。
ということで2回に分けます!

 

きっかけは出口から

腸に不安があります!という方はほぼいないのではないでしょうか?特に私と同年代だと。
自信を持って健康とまでは言えなくても、不安があるとはっきり言える方も少ないと思います。
なにせ体内のことですし、飲み食いは毎日のことなので、お腹が痛くなったときくらいしか内臓の存在を認識しないですよね。

私もそう思っていました。まぁ毎日ご飯食べられているし大丈夫だろう、と。

そう思っていた私が腸を気にするようになったきっかけ、ものすごーく汚い話になりますが…商業施設のトイレで奮闘した話です。

便が、出口に引っかかった感じがして、まったく動かなくなったんです。急に。
便意を感じてトイレに行ったんですが、初めのうちは、ちょっと時間かかっているな…というくらいの感覚でした。トイレが空くのを待っているであろう人に、ごめんなさいと謝り続けながら、ずっとお腹に力を入れていました。いつもと感じが違うけど、まぁそのうち出るだろう、と。お腹が痛くないのは幸いだと思っていました。
が、力んでも出ない、戻りもしない。紙を当ててみれば汚れるので半分出かかっている状態、ゆえにパンツをはいて少し歩いて気分転換を…なんてこともできない。完全に手詰まりです。
こうなるといっそお腹が痛いほうがよかったとすら思いました。痛ければ下すのでたいてい出ますからね。自分のお尻の穴に硬いものがあって微動だにしないほうがきつかったです。
なんだかんだ、トイレで2時間近く格闘しました。力みまくって熱いし酸欠気味になるしで、とにかく疲れました。ウォシュレットで肛門を刺激したり、紙越しに指で押して刺激を与えるなどの作戦が功を奏したのかはわかりませんが、とにかく思いつくこと全てやって、2時間です。
それでもまだ少し残っていたあの便のしぶとさ…帰宅後再度トイレに籠城しましたよ。自宅でも1時間ほどこもっていたと思います。
貴重な休日の何時間を捧げたのかは考えたくないです。

疲れ果てて寝て、翌日、これはさすがにおかしいのでは?と思い、会社を休んでクリニックを受診。
仕事が今より忙しい頃で、機会を逃すとしばらく行けなさそうだったので思い切って休みましたが、今となっては休んで正解だったと思います。

初めてのクリニック。内科・消化器内科・肛門科が受診できるところでした。
見てもらうところがところなので緊張していましたが、痛かったり気持ち悪かったりということはなく、ベッドに横になって半ケツになっただけであっさり診察終了。

診察の結果。はっきりしたことは言えないけれど、便が出にくかったのは腸に何かあるからかもしれないので、検査をおすすめします。と先生がお話してくださいました。
もともとお腹も下しやすいという話もしていたのでなおのこと検査をしたほうがよいと思われたんだと思います。検査して何もなければ安心できるしな、という軽い気持ちで承諾。
何事も時流があると思うので、やっておかなければという妙な使命感を覚えていました。説明を聞き、承諾書にサインなどして、検査食を受け取ります。

ちなみに、このとき、「そういえば切れ痔ね」と先生についでで診断されました。
うすうすそんな気はしていたのでショックはないんですが、あんまりあっさり言われるとね…。
痔は今でも時々私を苦しめていますが、なんとかうまく付き合えています。

 

今日はここまで

検査食のことや当日の流れなどはまた次回。
場所によるかもしれませんが、仕事や家事を離れて一人リラックスできるので、私は大腸検査がけっこう好きでしたよ。
次は2年後でいいと言われているけど早く受けたいな…。

苦手な食べ物

チーズ嫌いによるチーズヘイトスピーチ。

 

チーズが苦手

好きな食べ物はたくさんありますが、嫌いな食べ物はただ一つ。

チーズです。

あの独特な香り、味、質感、すべてにおいて苦手です。

 

そもそも牛乳も得意じゃない

チーズは牛乳から作られるものだと思いますが、私は牛乳そのものもそこまで好きじゃありません。
カフェオレとかイチゴミルクみたいに別のものの味や風味がしっかりしているものは好きですけど、牛乳単品で飲むことはほとんどありません。
小学校の給食の牛乳は義務的に飲んでいました。
今は牛乳を使う場面ではもっぱら豆乳を使っています…牛乳ほどくどくなくてあっさりしていておいしいんですよね。

ところで、牛乳は乳糖というものが含まれています。
この乳糖、人によって消化吸収に得手不得手があるらしいのです。
で、日本人は、乳糖の消化吸収が苦手な人が多いらしいです。
牛乳を飲むとお腹がグルグル鳴る、という人の話をよく聞きますが、そういう人は乳糖の消化吸収が不得意な体質なのだと思います。
日本人は腸が短いので獣肉の消化吸収が得意ではない、という言説と似たものを感じますね。

 

あいだのヨーグルトは好き

牛乳を発酵させていくとヨーグルトになり、さらに発酵するとチーズになる、というのが私のざっくりした理解です。
好きじゃないものなのでかなりあいまいな理解です。

苦手な牛乳と、苦手なチーズ。この2つのあいだにいる、ヨーグルトは好きです。

酸味があって、水分もあって、おいしいです。ジャムや果物でアレンジもききますし。
お腹に優しいのも嬉しいところですね。

仲間のはずの2つが苦手で、ヨーグルトだけは好きなんて、不思議です。
乳糖の消化が苦手云々ではなくて純粋に味や質感による、単なる好き嫌いなんでしょうね。

 

チーズケーキも好き

チーズ嫌いあるあるが、「チーズケーキは好き」。
クリームチーズそのものは食べられないけど、甘く味付けされたケーキなら食べられる。
私がこれまで出会ったチーズ嫌いは全員チーズケーキは好きだったので、そういう方は多いと思います。

チーズケーキとチーズって完全に別物になっていませんか?
それとも砂糖や小麦粉で私の苦手な風味が隠されて、レモンの香りづけも手伝って程よい酸味の演出に成功しているから?
あんまりチーズを前面に押し出されたタイプはたぶんおいしくいただけないから食べたことないけど、少なくともお店でよく見かけるチーズケーキは大好きです。
スフレ、レア、ベイクド、ブルーベリーの乗ったやつ…
迷ったら頼んでしまう、間違いのないケーキですよね。

 

世間はチーズがお好き

職場でみんながおいしいと絶賛しているお菓子をいただいたのですが、口に入れた途端、ものすごいチーズの香りが広がって、咀嚼ができなくなりました。
くさい!甘さもわからないくらいにくさい!噛めない!早く吐き出すか飲み込むかしたい!
おすそ分けしてくれた方には悪いのですが一口かじっただけで諦めてしまいました…
パッケージをよく見ると「ゴルゴンゾーラ」との文字が…みなさんあんなにくさいものをおいしく食べられるなんて、すごいです。

世の中の大半の人は、チーズをおいしく食べられて、うらやましいなと思います。
ワインにすごく合うと聞きますし、アレンジメニューにはだいたいチーズが使われていますよね。
なんでもかんでもチーズを乗せればアレンジ!というのはやや安易すぎる気もしますが…老若男女誰でも好きで何とでも合わせやすいチーズの万能っぷり。

みんながおすすめしているチーズのお菓子をおいしいと思えないの、そのまま生きづらさを表しているようで、なにかちょっと切なくなる瞬間でした。

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